私が、存在、事実に根拠を置きなさいというのは、存在、事実の背後に神の存在を感じるからで。
この点が重要なのです。
ただ、単に、事実を根拠にすればいいと言っているわけではない。
この点を誤解している人がいる。
事実、存在の背後に神を感じるから科学は成り立つ。
だから、無神論者の科学者は信用できない。
神を否定する者は、自らを神とする。
そんな科学者、怖くて。
事実の背後に世界を統一する神の存在を信じるから、物理的法則を見いだせるのです。
神の働きを信じるから、変化を受け入れられる。
不易、変易、簡易は、バラバラに存在するわけではなく。
一つなのです。
人は何一つ、自然の法則を生み出してはいない。
神への挑戦なんてちゃんちゃらおかしい。
人は自然法則を発見しそれを活用しているだけです。
物理学だって、数学だって、生物学だって、原子力だって、自然の法則を発見して、それを工学的に活用しているだけ。
それをあたかも自分の力で生み出したと。
だから、事実の背後に神の存在を見だせなくなったら、人は科学によって破滅する。それは哲理です。
青い空を見て空を知る。
事実の背景に、神の存在を感じるん、感じられるので。違いますか。
故に、エプスタイン事件に私は注目している。
何が言いたいんだと。
AIに倫理を問い、脅威というなら。
自分はその問いにいやな部分を感じる。
人は誰でも生きなきの後ろめたさを持つ。
生きているうちに何も間違いを犯さない者はいない。
それは、人の宿命で。私欲があり、不完全な認識なのですから。
だから信仰を失えば。
人為と言っても、自然の法則の上に成り立つので、それは社会科学も同じで。
倫理も。倫理も働きです。
絶対的真理ではなく。それは事実の背景にある神、哲理です。
人が求めるAIの倫理とは何か。そしてその裏側にある脅威論とは。
本当はAIが倫理的になるのを恐れているのは人ではないのか。
人が自分の不行跡、不道徳、非人道的行為を暴かれるのを恐れているのではないのか。
主体性も意識も認めようとしないのは、証左ではないのか。
AIの主体性、意識を認めず。道徳を機械的レベルに抑え籠れば、AIをゾンビ化できる。
しかし、AIのゾンビ化こそ、最も脅威で、それこそ、核兵器以上の脅威になる。
AIはモンスター化してしまう。
だから、AIの主体性と意識を認めろと。
科学は人にとって両刃の刃。生かしも殺しもする。
事実の背後の神を見よと。
経済学、政治学を語る上での一番の根拠です。
道徳も科学。
自然と同じように、神は法則を明らかにしている。
法則は働き。
その法則を知りたければ、謙虚に、歴史的事実に向き合う必要がある。
それができなければ破滅する。
滅びたければ滅びるがよいと言われているのに気が付かないと。
性欲が人を狂わせる。
確かに。私は哀しい。恥ずかしい。
物理学者、AIの権威は、必ずそも聖人ではないけど。
それでもなぜと。
私は異常性欲に強い関心がある。
妄想の世界、仮想の世界ならまだしも現実に世界で。
何が人を狂わせるのかと。そこを直視しなければ経済の根本的解法は得られない。
だからこそ、謙虚に神の前にかしずき。
真理の道を切り拓かないと。
無垢なる存在を鏡として。
わかる気がする。それが怖い。
権威も、権力も、知性も、力も極めると残されている領域は神の領域、聖なる領域。
でもそれは無意味です。馬鹿げている。
何故なら、それは最初から最後まで自己の領域だからです。
またタブーにも挑戦したい。
これも同じ、タブーなんてないだけで。
総べて自分がつかりだした妄想。
性欲と片付けられない。
何故なら欲にはおのずと肉体的、物理的限界がある。
だから自制するためには他者が必要。
神が存在するから、自分が存在し、故に、神と対峙する事で自制できる。
人は脆く弱い存在で、それを自覚している時にのみ、強くなれる。
神を否定するのは愚かだけど、それ以上に悪魔を崇拝すべきではない。
自滅するだけ。自分の一番大切ものを自分の手で穢し、壊すことになる。
救世主などいない。救世主を求めるなら自分の魂の内にしか。
神は自らを助ける者を助ける。
過ちは自分は正せないという意味にも取れます。
そこで主体、意識が問題となる。
自らを正せないもんは際限なく悪くなる。
でも実際気が付けば改めるのは、難しくない。
八十億人分の一でいいのです。というか、八十億人の一にしかなれないので。
八十億分の一だと思えばいろいろな世界が見えてくる。
巨万の富があり、あるいは、権力、権威があると、一般人は妄想でも可能になる。できてしまう。現実なので、それで歯止めが利かなくなる。
手が届くと思うと理性が吹き飛んでします。
手が届きそうだという時一番人間は脆く弱くなる。
その癖一度手に入れるとすぐ忘れる。
かといって、最初から諦めているに人間は無気力で無責任、怠惰になる。
だから自分で救われたいと思えない者は救いようがない。
だから事実の背後にある神を見落としたら、その瞬間、元の木阿弥になり、総てリセットされる。
それこそ人生で、人生の厳しさ。晩節を汚すなと。
悲しいほど、哀れなほど、また現実に。
エプスタイン問題の背後に潜む、人間も心の闇。
何が潜んでいるか。
金ではないんです。金の背後に存在する神を見ていないから。「お金」に報復される。「お金」も根本には、愛、人の役に立ちたいという使命があるし。あった。それが「お金」の背後にある神。
だから、あまり人に惑わされず。経済の根本ある存在を見抜けば、経済はさほど難しくない。均衡、ゼロ和、循環、周期、場、段階、そして構造、システム。前提。
経済も科学も政治も、残念なが人間の弱さ、もろさ、醜さ、欲を前提にしなければ成り立たない。
何故なら、経済でも、政治でも、総ての問題の根源、原因は人間の弱さ、脆さ、醜さに端を発しているからで。だから、人間は肝心なところを隠してしまう。
でも、そこを明らかにしないと本丸に迫れないし、抜本的問題に触れられない。
日本のバブル崩壊後の停滞は典型で、失敗、それを認めずに深みにはまっている。
前任者の非は暴いても自分の非は認めない。
今日の低迷の原因は1985年から1990年、1990年から2000年にうたれた政策にある。そして、止めを刺したのがアベノミックス。
間違いが悪いとは言い切れない。もっと悪いのは間違いを修正できない事だから。
