仕事というのは、仲間が集まって鍋パティを開くような事。

先ず、仲間を、集めて鍋でも食べるか発起する。

大概、こういう時は、仕切り役が出てくる。
自然に仕切る奴は決まっていることが多かった。

逆に仕切れる人間がいないと、そのグループは何もやらない、できない。

そこで、仕切り役が、「お前は、肉を買ってこい。」「お前は鍋、探してこい」「お前は皿を用意しろ。」「お前は、野菜。」「お前は、酒」。「お前は調味料」と役割分担を決める。

金は、とりあえず各自出して、レシートもらってこいとか。
仲間うちでも、金の問題は、ハッキリさせておかないと、後々、トラブルのもとになる。
最初に金を集めるか、割り勘にするか、決めておかないと。
おごると言っても嫌われることがある。

仲間には、仲間ごとに仕来り、掟がある。
東京下町の流儀は兵隊勘定。
どんなに羽振りがよくても割り勘が原則。
九州の仲間は、持っている人が払う。だから、誰も金を持ってない時は、払う時が怖い。

一人でも役割を役割を果たさないと、パーティーは開けない。
最悪は、鍋パティーが開けなくなる。

次の打ち合わせで目的を決めよう、それまでに自分の考えをまとめてこいと示し合わしたのに、ひとりやってこないと、そこで、ボタンの掛け違いが生じる。

学生時代、しゃぶしゃぶでもしようと集まった連中が、肉を担当した人間が忘れたと。
それで、ただの飲み会になったなたなんてね。べろべろに酔ったそうだ。

仕事も同じ、期日までにやる事をやってこないとそこから破綻していく。

何回も、約束を違えると仲間外れにされる。
この恐怖感で、みんな約束を守るようになる。
このルールが守れない人間は、自分からコミュニティーが作れない。
そして、引きこもりやいじめのや対象になりやすい。

仕切る奴は、大体、頭に、段取りが入っていないとね。レシピも…。いい加減な奴いたけど。
それでも、適当に頭に入れてないと。

隣から、コップ借りてこい、鍋は二つ先ねと道具はすべて借りてきたやつもいた。
こうやって、仕事の段取りを覚える。

一人では、鍋パティーはできない。
だれかが、みんなと鍋でも食べるかと思い立つ。
大体そいつが、みんなを仕切る事になる。

「おい、鍋でも一緒に食わんか」と仲間を募る。
「鍋、食いたくない」と誘う。
誘っておいて、自分ははたかないで、他人をこき使う。
しかし、仕切りがいないと、鍋パティが開けないから、そいつが、自然としきりになる。

仕事はその延長にある。
やると決められた事は確実にやる。
さもないと、仲間外れになる。
そして、最初は仲間、仲間づくり。
そしてやる事を決めて、割り振っていく。

いつ、何を、やるかを決めて、当日までやってくることを割り振りして、そして、みんな、自分の役割を果たす。
それがたとえ酒盛りでも。
否、俺たちにとって、仲間の義理だってと人情が絶対だった。
仲間は裏切れない。
だから、どんなことがあっても約束したことは守る。
やると約束した事、期日は守る。これは、約束なのだ。
それは、仕事に対する信条にもなった。だから、仕事はいい加減にはできない。
勉強はできなくてもね。

寄せ鍋にするか。
すき焼きにするか。
バーべキューにするか。
鍋にもいろいろあるから。
何にするか最初に決めなければ、準備はできない。
やっているうちに決まるでしょうなんて、わけにはいかない。
何鍋にするかも、少なくとも仕切りは決めてなければならない。
かと言いって仕切りが、鍋をもってうろうろするわけにはいかない。
仕切りが何もかも縦鼻していたら、しかも、金まで出したら。
仲間の酒宴とは言えない。
みんなが持ち寄るから、仲間とつつく鍋になる。
それが仲間なのだ。

やることを考える。
やってしまってから、目的を考えるのではない。
結果オーライ。
既成事実を積み重ねていくやり方は、邪道である。

担当を決めて、指示することを整理し、確認する。
一人ではこれができない。

事前に担当に空いてる日を聞かせた上で責任者が日を決める。
下準備、調べさせたうえで幹部間で最終調整をする。
下準備、下打ち合わせもしないと、事情も分からないまま、ガチンコの議論になる。
要は潤滑剤がない。

今の日本人は、組織的に仕事をするという意味が分かっていない人が多い。
日本人の集まりは、なぜか、集団、群れであっても組織とは言えない場合が多い。
つまり、なぜか、群れと集団の区別がつかない。
組織が成立するためにはいくつかの原則がある。

組織にはルール、掟がある。
組織は、指示命令で動く。
組織には、中心がある。中心とは、リーダーである。

組織のメンバー全員に役割がある。
一人でも、その役割を果たさない者がいれば、組織は目的を達成する事はできない。
ここが肝心なのである。

一人でもやるべき事、守らなければならない約束を違えたら。
特に最初に、違えればボタンの掛け違いが生じ、全体の均衡が保てなくなり、目的を達成する事や組織を制御する事ができなくなる。

ところが、今の時代、簡単に、できませんでしたと済まそうとする。
故に、多くの仕事が中途半端に投げ出されるのである。
つまりは組織ではなく、群れなのだ。

群れでは大事は成せない。
事を成し遂げることはできないのである。

なぜ、連絡役の担当を必要とするのか。
それは、チームワークだからだ。

先ず、成果物のリストを作る。
成果物には、最終成果物中間成果物があり。成果物は、基本的に、資料だと思ってほしい。
中間成果物は、最終成果物を作成するための資源、あるいは、部品と定義する。
まず、最終成果物のイメージ(構想)を作る。
成果物には、それぞれ、使用目的と使用者(ユーザー)がいる。
使用者は使い手受け手担当が作り手、出し手になる。
勘違いしてはならないのは、社長は、基本的にはユーザであり、出し手ではない。
この点を勘違いすると、出だしから間違う。
先ず、成果物をどうするかデザインする。
成果物をデザインするためには、ユーザー(社長等)が、どのような情報を、どのような形にしてもらいたいか。
要求定義をする。要求定義は、資料の使い道を明らかにすることからデザインされる。
受注者がユーザーから注文を取るところからね。
要な情報項目別に整理し、配置などをイメージする。
それがUI(ユーザーインターフェース)つまり、ユーザーに見せる画面ね。
これらを、作成者側がユーザーの要望に基づいってデザインする。
ユーザーには。最終ユーザーのほかに中間ユーザーがいる。これが、部門長やマネジャーで、それぞれのパーツを受け持つ。
最終成果物の大枠が見えてきたら、次に、各部部門がどこを受け持つかを決め、それぞれにエリアを決めて分担する。
中間ユーザーは、自分の受け持つ範囲が特定されたら、担当を選んで、全体との打ち合わせをする。
ここでいう、担当は、連絡役のようなもので、実際の仕事は、部門内で担当分けをして全員で実施する。

いずれにしても、誰がユーザーかを常にはっきりさせる必要がある。
大体、ユーザーの注文もとらずに、資料を作成するケースをよく見受ける。
それはレストランで客を無視して調理をするようなことで、傲慢も甚だしい。

最終成果物を想定する。通常、成果物というのは文書、書類である。
基本計画は、基本計画書を指す。最終成果物が特定できなければ、報告書を用いる。
成果物とするのは、単なる数表では、ユーザーの要求にこたえられなくなってきたからである。

資料を作成する時、どこに注目するか。
変える事変えない所。
操作できるところ、操作できない所。
管理する事の出来る部分と管理する事の出来ない所を項目毎、科目毎に明確にする。
同時に必要に応じて方針や施策を決めていく。

例えば、売り上げに関して、項目を挙げる。
項目の設定はデータ分析の基礎、枠組みを提供する。
項目をどう分類するかを決める。(業種別にするか、部門別にするか、支店別にするか、機能別にするか等)どの基準で大項目、中項目、小項目、詳細項目(どれくらいの階層を設定するか。)
縦項目、横項目を、どのような考えで、どう設定するか
一つ、ガス売上。
二つは、器具売上。
三つは、獲得件数。
四つ、工事、設備。
五に、その他。
次に、変わる部分と変わらない部分。
ガス価格の中で、何が変わって、何が変わらないか。数量なのか、価格なのか。
変わるとしたら、どのような要因によって変わるのか。
コストドライバーは何か。

方針には、前年と同じ商品を、同じ販売方法を基にして計上するのか。
同じ商品を、違う販売方法を採用する事を前提として計上するのか。
前年とは、総て違う商品を、違う販売方法で計上するのか。
前年と同じ商品だけでなく、一部を違う販売方法で販売する事を前提として計上するのか。
これらを項目事に設定する。それが販売方針。

生データは、発生源に近いところで作成させるのが原則。

いわゆる、資料の効用とは、一つは、異常値の検出、二つは、予測、三つ目に予実績管理、(誤差の修正、軌道修正)、四つ目、原因の究明、因果関係。五つ、問題点の抽出があるので。
単なる数表は、この目的からするあまり有効とは言えない。

異常値検索からすると、よほど熟達しないと異常値が見つけにくい
予測して他くても、操作性が乏しく、その場で試算することができない
三つ目の予実績管理にしても、見にくく、わかりいにくい。
軌道が見えない。
原因や因果関係、相関関係と言っても、数表からはつかめない。
問題点もむしろ隠されてしまう。
だから今日では、世界の傾向は数表より、図形や、ダッシュボードが主流になりつつある。
またコンセプト、(コックピットとか羅針盤、マップと言った)が大切で。
そこに資料作成者の、創造力やセンスを磨くチャンスとなる。
だから、最終成果物の設計は、想像力が試されるのだ。

大枠と体制が整ったら、次に、誰に何をどの程度任せるかにウェートは移っていく。
数値そのものは、作ろうと思えばつくれる。
この業界は、基本的前提が変わらなければ、前年、プラスマイナスで考えればそれなりの数値はできる。

どの部分を任せるか、それは、会社の経営方針から導き出されることで…。
古参の連中はある程度高をくくっている。しかし、それでは、若い連中の未来がなくなる。
若いうちに、いろいろな経験積ませ、あるいは身に着けるべき知識や技術を学ぶ機会を、奪ったら、彼らが、我々に代わってこの会社を担った時に責任を持った対応ができなくなる。
自分たちの力だけで会社の経営ができるように鍛えておくのは最低限の使命である。

そのためには、自分たちで予算を作り、その予算を自分たちで管理して、実績があげられるようにしなければならない。

売り上げ予算に関しても、どの程度、現場の人間に任せるか。
一つ、粗利の目標だけ示して、商品企画から、キャンペーン企画まで全て任せるか。
一つ、キャンペーンの基本計画はセンターで立って、後を任せるか。
一つ、商品は、ある程度絞ってその中から自分たちで選ばせるか。
一つ、一人ひとりの目標、ノルマはセンターで決め。目標に対してどれくらい上乗せするかを任せるのか。

何を選択するかが、現場の方針に重なっていく。

そういう風に具体的に誰に何を、どの程度任せるかを詰めていく。

最終的には現場の人間もユーザーになる。
だから、考え方から、経営方針から、可能な限り、一緒に作っていく。
未来は、若者たちの物なのだから。

トップが方針を示したとしても、その方針をメンバーに理解させ、浸透させる必要がある。
だから、問題なのは、いかに、理解させ、浸透させるか。それ以前にどの程度、どのように理解し解釈しているかを確認する必要がある。自分もだ。

政策や戦略レベルの事は、トップの承認を受ける必要がある。
戦術レベルは、ライン長が決断できるようにしておく必要がある。
なぜなら、政策や戦略は統一性が求められ、戦術は、即時性が求められるから。

鉄の塊をそのまま水に入れれば沈むに決まっているだろう。
水に浮かぶ形にすれば、あの巨大な戦艦だって水に浮かぶ。
組織をまとめるためには、器が大切。つまり、形が鍵となる。