確かに、現代の経済は、「お金」に、支配されている。しかし、「お金」が全てだと言い切れるだろうか。
経済というのは、生きるための活動を言う。つまり、生きる事が目的なのである。
「お金」は、生きるために必要な物を手に入れるための手段である。目的ではない。
現代の「お金」は、紙幣が中心である。その紙幣の歴史はたかだか百五十年足らず。
あることが当たり前な円も、1871年(明治4年)に明治政府は新貨条例を制定し、貨幣の基本単位に円を用いることを決定したことから始まっている。
100年後の1971年、現在の貨幣制度は、ニクソンショックによって金本位制が、瓦解し、1973年、変動相場制に移行した事からははじまったといていい。
現代の「お金」の歴史なんてその程度の歴史しかない。言い換えれば、何が起こってもおかしくないのである。
1923年にドイツで空前のハイパーインフレーションが 、起こったと言っても、たかだか百年前の出来事に過ぎない。
現在の貨幣価値は、国家が作り出した価値である。 人工的価値である。
貨幣は自然界に存在するものではない。自然に生(な)る物でもない。
国が必要に応じて作り出したものである。
貨幣そのものに実体的価値があるわけではなく。
貨幣価値は、名目的価値である。
所詮、「お金」は、人間が生み出したものに過ぎない。自分が生み出した、幻影に、振り回されているだけである。
ただ、欲望を抑えきれなくなると「お金」に囚われてしまうのである。
我々に求められているのは、「お金」を正しく活用する事である。「お金」を正しく活用できないと、人は「お金」に支配される。
今は生きるために金儲けをする。だから、金儲けする事は恥じることはない。ただ、金儲けのために魂を売ったら話は別だ。
なぜなら、魂を売ったら生きられなくなるからだ。
孤独になると人は、自分のよって立つところを求める。なぜ。なぜ、何のために。誰のためにと。
自己存在の根源を求める。なぜなら、人は、間接的認識対象だからである。
自己存在の存在意義の根源を求めるなら、普遍的な存在。自己を超越した存在であるべきである。
会社や家族といたものに求めても、会社は辞めてしまえば、失われるし。家族も崩壊する事がある。
だから、多くの人は、神や国と言った普遍的なものに救いを求める。
「お金」は、普遍的なものではない。心の支えにならない。「お金」に救いを求めても虚しい。
経済は生きるための活動である。
自然状態で、動物が生きるための活動は、食料を得ること、テリトリーを守ること、繁殖の三つである。
これが経済にの基本である。
現代社会で生活を成り立たせるためには、個人的には、生きていく為に必要な財を市場から購入できるだけの収入を絶えず維持していく事。社会全体では、全ての人が、生きていく為に必要な(必要とする財を、必要とする人に、必要とする時に、必要なだけ)資源を適切に分配する事を意味する。
一人の所得で何人を養わなければならないのか。また、所得は、どのよう分散し、そのような偏りがあるか。それが経済を考える時の課題である。
つまり、所得と物価と家計の関係が根本となる。
経済は生きるための活動であるから、その対極にあるのは死。
即ち、飢餓、災い、外敵であり。根本は食料の確保と外敵から身を守ること、そして、子孫を残す事。
経済の第一は、国民の生命・財産を保障し、子孫の繁栄をはかる事にある。
経済の働きは、前提条件が変われば、変化する。相対的な事である。
個々の部分の適合性にっよて全体は形作られていく。適合性は、部分の均衡と全体の均衡を保つように制御されている。
部分と全体地の整合性が失われると、経済は制御不能に陥る。
経済には、階層的場がある。例えば、フローとストックが作り出す場である。
おくって 「お金」の問題ではなく日本人は、物質的には恵まれた生活をおくっているのか。その点を検証する必要がある。
物質的なに不自由のない生活を送っているかは、家計調査を見ればわかる。
私が明らかにしたいのは、
物や人には物理的な制約があるが、「お金」は、物理的な制約がない。
それでも、金本位制度の時は、金と結び付けられることで物理的制約があたが、菅為替制度になってからは、物理的な制約がなくなった。
現代の経済は、生産と分配、消費の三つの局面から成り立っている。
分配は、生産活動に対する働きに応じって「お金」分配し、生活に必要な資源を市場から獲得するという二段階で行われる。
重要なのは、市場経済が成り立つためには、すべての消費者に、必要なだけのお金が配布されていなければいなければならない。
現在の経済の仕組みは、「お金」を還流する過程で、生活に必要な財を、消費者、全てに分配する仕組みなのである。
財を生産し、消費者に配分する、そのためには、まず、「お金」を、すべての国民に、あまねく、いきわたらせておく必要がある。
どの様にして、どのような基準で、「お金」を分配するか。それが、現代経済の一番の課題である。
近代の経済体制の基礎を形成する要素は、
是非はともかく、近代経済の成立に戦争や、軍の近代化は、避けて通れない事実である。
太平洋戦争後の日本人は、戦争や軍事を他所事、他人事のように目を逸らしてきた。
しかし、先に挙げた七つの事全てに、軍事は関わっている。
例えば、軍事の組織化によって一定の割合の賃金労働者を創出した事が、近代の貨幣制度や雇用制度、税制の礎となったのは紛れもない事実である。
物納から金納への転換する事で、紙幣の信任を確立し、貨幣制度の基盤を構築すると同時に、政府と家計との資金の還流を生み出した。
戦争と国債は切っても切れない関係にある。
国家財政は、軍事によて育まれ、そして、危機に堕ちいった。
軍と税は、現代経済の基礎を構築した。この事は、軍事や税が経済に深く関わる契機ともなっている。
アメリカ独立戦争やフランス革命の例を引くまでもなく税の改革が、革命や内乱の引き金を引く事は、歴史的な事実である。
軍事や、税制を確立する過程で戸籍等の社会のインフラストラクチャーも形成されていったのである。
これらの事は否定する事もできないし、否定するわけにもいかない。
近代経済は、どっぷりと戦争に嵌り込んでいるもである。
この事実から、目を逸らしたら、近代経済の本質も見えてこないし。恒久的な平和も築けないのである。
近代経済は、戦争の上に築かれているのである。
経済学は、近代以前の医学や漢方のように思えてならない。
経済も病気にかかる事が時々ある。経済の病気を癒すためには、経済の仕組みを明らかにする必要がある。
対処療法的なやり方では、一時的に快方に向かっても、根治させる事は難しい。
「お金」の流れだけ見ていれば、経済の実態が見えるというのは、漢方的な発想である。
経済の仕組みを、よく理解しなければ、経済の病気の病巣を、明らかにすることはできない。
近代の異常ともいえる経済成長の裏には、エネルギー革命が隠されている事を見落としてはならない。
その担い手は、電気と石油、ガスである。
産業革命と言ってもむしろ、電気、石油、石炭、ガスの裏付けがあったから、急速に拡大したのであって。
単に技術革新だけで成し遂げられたわけではない。
まず、この点が鍵である。
経済を単に貨幣的現象ととらえるのではなく。
経済の働きが経済に仕組みに及ぼす影響という観点からとらえることも意義がある。
なぜ、経済を分析するのか。それは、経済の消長を見極め。景気や、物価を予測して、市場を制御する事にある。
それを知るためには、何が、経済変動の要因かを明らかにするのが第一歩である。
景気の変動を見極めるのなら。物価に影響を与える要因はなにか。所得は、何によて動くかを明らかにする必要がある。
景気の変動は、物価と所得に集約されるからである。
国民経済計算では、経済の成果は、付加価値として測られる。
要は付加価値をなによって生み出されるかである。
経済とは、人が生きていくための活動を言う。すなわち、経済の仕組みとは、人々の日々の生活を成り立たせている仕組みである。
経済の仕組みは分配を目的としている。
つまり、経済の仕組みは、生産と消費を均衡させる事を目的としている。生産と消費を媒介する手段が貨幣である。
生産と消費を均衡させる仕組みは、国内の均衡と対外的均衡の二つの部分からなる。
資金の働きには、長期的働きをする部のと短期的働きをする部分のがある。
長期的働き、短期的働き、いずれも均衡させる必要がある。
長期的資金は、貸借を通じて、支払いを準備すると同時に、生産手段や経済基盤(インフラストラクチャー)を形成する。
短期的資金は、損益取引を通じて市場に資金を流通させ、分配を実現する。
長期的資金はストックを、短期的資金は、フローを構成する。
ストックは一方的に拡大し続けているのに対し、フローは一定の幅、範囲内で増大と縮小を繰り返している。
経済の目的は、人々が生きていく上に必要な物を生産し、必要としている人に、必要な時に、必要なだけ分配する事である。
経済の仕組みは、経済を実現する為の手段である。
つまり、生きていくために必要な物を生産し、全ての人に、生きていく為に必要な物を配分するのが、必要最低限の必要要件である。
生きていく為に必要な要件には、どのような事があるか。
まず、第一に、飲食である。人間は、生き物である。食料と水が、なければ生きていけない。経済の第一の目的は、食べ物と水の確保である。
第二に、外敵から、身を守る事である。生存闘争は、本能である。弱肉強食は、自然界の掟。野生状態では、一瞬でも油断すると捕食されてしまう。
第三に、環境の変化から身を守る事である。
経済の仕組みは、この三点を、核にして形成されていく。翻って言えば、この三つが経済の肝なのである。
消費に合わせて生産を調整する。 いかに、生産と消費を釣り合わせるか。それが、経済の仕組みの第一義の目的である。
「お金」は、生産と消費を結びつけるための手段に過ぎない。
経済の基本は、人である。この点を間違ってはいけない。
この点を見まちがうと、生産効率を高める為に、人の生活を犠牲にするなどという事が、起こるのである。
経済の究極的な、目的は、人を生かす事。人々の日々の営み、生活を成り立たせることである。
「お金」を儲けたり、事業をするのは、副次的な事に過ぎない。経済の、中核は、人々を生かす事にある。その延長線上に、人々を豊かにすることがある。
経済の仕組みは、人々の生活を成り立たせる事を最終的の目的としている。
その上で、経済の仕組みを動かしているのは、「お金」の循環だという認識しておく必要がある。
重要なのは、すべての消費者に、必要なだけのお金が配布されていなければいなければならない。
全ての人が自分の力で所得を獲得できるわけでない。
そこで、人口構成が鍵となる。
経済の根本は、人である。故に、経済の仕組み(経済体制)の根本は、人々の生活を成り立たせることである。
人が生きていくためには、食事を切らすことはできない。
つまり、人は、食料と水を継続的に消費し続ける。経済の仕組みは、絶え間なく、一定量の食料と水を補給し続けることが求められる。
これが、経済の仕組みの目的の第一義なのである。
経済の仕組みの目的は、人々の生活を成り立たせる。国民の生命と財産を守る事である。
経済の最小単位は、個人である。
個人は、生産者であり、消費者であり、分配者である。
個人が、生産、分配、消費を一体的に兼ねることで、生産と分配、消費、そして、人、物、金、各々独立した場を関連付けることが可能となる。
個人は、一人ひとりは違う。また、個人、一人ひとりには差がある。
すなわち、個人は個性的存在である。
個人の働きは、主体的に表れる。主体とは、そのもの自体が持つ固有の働きである。
第一に、個人は、消費主体である。個人は、最終消費者である。
第二に、個人は、生産主体である。個人は、働き手である。
第三に、個人は、分配主体である。個人は、所得を得ることで、分配の権利を獲得する。
個人は、集まって集団、組織、機関といった、経済要素、経済主体を形成する。
集団、組織、機関は、一つの主体として力を発揮する。
経済の仕組みは、主体間の「お金」の出・入りの力によって動いている。
経済活動は、単独ではできない。必ず、相手がいる相対(あいたい)行為である。
任意の主体の収入は、必ず、他の主体の支出となり、 任意の主体の支出は、必ず、他の主体の収入となる。
故に、主体間の取引の総和は、常にゼロに均衡する。
経済関係は、鏡像関係、対象関係が成り立っている。
経済主体は、働きによって、生産主体、分配主体、消費主体、金融主体、公的主体、海外主体に分類される。
個人は、局面によっていくつかの主体に属する事で効用を発揮する。
生産量、消費量、人口、所得、物価、通貨量、税金、これらは無関係に成り立っているわけではない。
人を生かすために、物的な仕組みがあり。物を、必要としている部分に配分するために「お金」の構造がある。
物が肉体を構成している部分だとすると、「お金」は、血液なような物である。
血液を調べれば、ある程度は病気を知ることができる。しかし、血液が全てなのではない。
経済の病の原因を明らかにするためには、物的な仕組みや構造も、知る必要がある。
個人は、生産的活動を通じて「お金」を獲得し、生きていく為に必要な資源を市場から購入する。
この一連の活動によって「お金」を社会に還流している。
物は、実質的価値を形成し、「お金」は、名目的価値を形成する。
重要なのは、名目的価値と実質的価値が非対称だという点である。
名目的価値は、金融価値に転化し、実質的価値は、物質的価値に転化する。
名目的価値と実質的価値の非対称は、金融価値と物的価値の不均衡の原因となっている。
それは、総資産と総資本の関係に反映される。
現在の経済の仕組みは、生産、分配、消費の三つの局面に分割できる。
経済の仕組みは、生産と分配と消費を調和させることで成り立っている。
生産、分配、消費の局面を結び付けてているのは、「お金」である。
「お金」は、世の中を、循環する事で生産、分配、消費を関連づけているのである。
経済は、生きる事の活動で、最終的目的は、生活を成り立たせることにある。
生活というのは、消費である。つまり、経済の最終的到達点は、消費である。
単位消費量というのではなく、消費の質が問題なのである。
例えば、食べ物である。食べ物は、餌ではない。
量だけの問題ではない。まず、味である。見掛けも、最近では、健康。中国には古来、医食同源という言葉がある。美容も重要になったきた。
それに食べる場所である。誰が、調理するかも経済の問題。
根底にあるのは食欲である。
食べ物だけでなく。着る物も、住む家も質が重視されてきた。
事ほど、近年では、消費の質が経済を決するようになっていた。
この点が唯物論者や原理主義者との違いでもある。
豊かさとは何か。それは、消費の質を高める事を意味する。
人は、生活にゆとりができると、消費の質を高めたいという欲求が生じるのである。それが豊かさへの願望である。
自給自足を基礎とし時代は、生産、分配、消費は、未分化である。
分業が進化し、生産の場と消費の場が分裂するにしたがって分配の場が形成されたのである。
人間は、生きるためには、必要な物を生産し、消費しなければならない。
つまり、経済の基本は生産と消費である。
消費に合わせて生産を調整する。
いかに、生産と消費を釣り合わせるか。
それが、経済の仕組みの根本である。その根本を担っているのが分配の仕組みである。
生きるためには、生きていく上で最低限必要な資源を確保する事が最優先される。
故に、経済発展の初期の段階では、生産が重視される。
必要最低限の資源が保証されるようになると、消費の質が重視されるようになる。
注意しなければならないのは、必要最低限の定義が時代や環境によって変化するという点である。
食べるのがやっとという時代と、飽食と言われる時代とでは基準が変わってくる。
分配は、資本主義的手段だけではない。
資本主義では、分配は、基本的に、所得という形式で支払われる。所得以外には、給付という形式がある。給付というのは、年金や生活保護などの名目で労働などの対価、反対給付とは、関係なく一般政府などから支給される「お金」である。
今日、ベーシックインカムなど、対価性や反対給付とは、切り離して、「お金」を配布することも検討されているが、これは、生産と消費との関係を希薄にさせ、同時に「お金」の働きを変えてしまう危険性がある。
資本主義の体制そのものを変えること意味する。つまり、社会主義化である。
経済の最終の目標は、生活にある。生活は消費によて支えられ。消費は、市場経済では、支出によって実現する。
消費は、所得と物価、蓄えの関係で定まる。
蓄えには、正の蓄えと負の蓄えがある。
負の蓄えは、負債を指す。正の蓄えには名目的資産と物的資産がある。
ここで、注目すべきなのは、所得と消費の関係、言い換えると、所得と支出の関係が、余剰価値、つまり、ストックを恒常的に生み出しているという点である。もう一度強調しておくのは、「お金」は、分配の手段だという事である。
自然状態では、水の確保と食べることが、第一義だった。
最初から、食料を生産したわけではない。原始時代は、食べ物は、自然に生る(なる)物をが主だった。
食料を生産するというのは、農耕や牧畜の技術が確立する過程で形成された。
最初は、生産と消費の場は一体だった。社会分業が進化する過程で、生産と消費が分裂し、それに伴って、分配の場である市場が形成された。
現在の経済は、生産の場、分配の場、消費の場の三つの場からなると考えていい。
今日では、経済の仕組みの中核を担うのは、分配の仕組みだと言っていい。
分業は生産の局面だけにあるわけだはなく。分配の局面、消費の局面にもある。
分配は、第一段階として「お金」を働きに応じて組織的に分配する。
第二段階で、獲得した「お金」で必要な生産財を購入するという二段階で完了する。
第一段階で支払準備として配分される「お金」が、所得を形成する。
所得は、単に、配ればいいというわけではない。所得で問題となるのは、所得の幅、平均、分散、標準である。
それは、所得が、分配の手段だからである。
分配が問題となるのは、消費が、一定、固定的なのに対して、生産が、不確実、変動的だからである。
消費が一定、固定的であるのに対し、生産が、変動的であることにより、在庫、貯蔵が生まれる。
「お金」で言えば、支出が固定的なのに、収入が不確実。それが、フローとストックを成立させる一因となる。
経済は、産業と市場と生活の三つの局面の効率から捉える必要がある。
産業は、生産の場であり、市場は、分配の場であり、生活は、消費の場である。
経済は、生産と分配と消費の調和がとれた時、正常に機能する。
現在の経済は、生産効率に偏りすぎている。
経済の効率には、生産効率だけでなく、分配効率、消費効率があり。経済の効率は、生産効率だけで成り立っているわけではない。
生産効率も、単独で成り立っているわけではない。生産効率は、分配と消費との釣り合いの上に成り立っている。
生産効率、分配効率、消費効率を均衡させる事が重要なのである。
分配が成立するためには、最低限の収入が保証されている。常に必要なだけの「お金」が補給されている。
「お金」と人と物、各々総量の釣り合いが取れている事である。
生産効率、分配効率、消費効率の不均衡は、フローとストックの不均衡を生み出す。
大量生産、大量消費、大量廃棄が常態となった。壮大な無駄、非効率であることは明らかである。
経済主体は、各々の役割を果たすために経済的手段を構成する。
経済手段の私的所有権をどの程度、認めるかで経済体制は分かれる。
経済の仕組みを動かす動力がお金である。
経済手段とは、経済活動を実現するための手段、すなわち、道具や、装置、設備、仕組み、土地、構造物、建物、原材料、権利等を言う。
経済手段は、性格や役割に応じって働きに差がある。
生産主体と消費主体の関係が、経済に決定的な影響を及ぼす。
経済的手段には、生産手段、分配手段、消費手段がある。
経済手段の私的所有権をどの程度、認めるかで経済体制は分かれる。
経済活動は、経済手段に対する投資から始まる。
投資するためには、支払準備としての資金を用意する必要がある。つまり資金調達である。
資金調達の手段には、借入と資本的手段がある。資金調達は、金融手段を形成する。
借入金にも資本金にも負の働きがある事を留意しておく必要がある。
借入金は、借りた時点から、約定に従い一定の金額の返済(支出)が、義務づけられる。
借入金は名目的価値を構成する。
借入金は、固定的支出を前提としている。
借金の返済の原資を何に求めるかである。
借入金も資本金も収入だという点を忘れてわならない。
経済主体にとって収入を得る手段は、他に、収益的手段、所得、徴税的手段、金融的手段(金利)、配当がある。
つまり、借入金や、資本金を収益や所得、税に置き換えることで市場経済は成立していると言える。
借入金や、資本は、ストックを構成し、収益や所得、税、金利はフローを構成する。
「お金」は、「お金」単体では、成り立たない。「お金」の単位が指し示す対象と対になって貨幣価値を実体化する。
「お金」は、名目的価値を構成する。名目的価値は、債務(負債・資本)である。
資金を調達するためには、対となって債務を担保する対象を必要とする。債務と対になる対象は債権(資産)を構成する。
物のストックで重要な要素は、資産である。資産は、経済的手段である。
資産は、実質的価値を構成する。
貸借による資金の流れは、損益上には、計上されない。故に、貸借による資金の流れは、市場経済において補足されない。
名目的価値と実質的価値は、非対称であり。経済的手段(生産手段、分配手段、実質的手段)に名目的価値と実質的価値の二つの価値を形成する。
名目的価値と実質的価値は非対称だから、総資産と総資本との間に歪を生み、それが資本を形成する。
職場と住居が分裂する過程で市場が形成された。
職場は生産の場。住居は、生活、消費の場であり。市場は、分配の場である。
すなわち、職場と住居の分裂は、生産と消費と分配の場が独立し形成されることを意味する。
経済は、本来、生活の場、消費の場を設計するところから始まる。
生活の場から、分配の場を設計し。分配の場に基づいて、生産の場を構築する。
その証拠に、生産者は、全ての人口を意味しているのではないのに対し、消費者は、全ての人口を意味する。
本来、生活の場を土台として経済の仕組みは、構築されるべきなのである。
現代社会は、それが逆転している。つまり、生産から消費を規制している。必要な物を生産するのではなく。生産した物を消費するのである。
必要という概念が欠落している。欲しがるから作るのである。
分配の成否は、いかに効率よく「お金」を分配するかにかかっている。
生産量と消費量と結びついていない通貨は、効用を発揮しない。
市場経済では、価格の維持が要なので、廉価ではない。
現代経済の特徴は、大量生産、大量消費。何でも、過剰にしておけばいいという思想である。
これは思想である。故に、余剰、余剰。何もかも、余剰である。
適正な配分という考え方は、生まれてこない。あっても、一律に配分すればいいという事である。
一律、同等は平等ではない。なぜなら、前提となる条件が違うからである。
経済は、生産だけではない。むしろ、分配にこそ、経済の核心はある。
現代の経済は、生産のみにかたより、分配が軽んじられている可能性がある。しかし、経済を動かしているのは、分配の機能である場合が多い。
生産に偏るから、大量生産になり、生産に合わせて分配や、消費の体制が作られている。
それが、乱開発や無駄、飽食などの現象が、起こるのである。
分配の効率を考えずに、生産の効率ばかり計られるから、経済の本質が見失われる。経済の目的は人を生かす事にあるのに、生産の効率ばかり地球するから、人を殺してしまう。経済が原因で争いがおこり、戦争になる。
大きな倉庫のような店舗で働く人も少ない。確かに、それで、安い価格を実現できたとしても、町は、失業者に満ち、商品を買う「お金」もない非婚者ばかりになったら、何の意味もない。
豊かさとは、生活、消費の中に求めるべきであり。生産に求めるべきではない。豊かになるために働くのであって、いくらはたらいても豊かになれないのなら意味がない。ならば、豊かさとはないにか、それを、まず考えるべきなのである。
分配の役割は生産と消費を結びつける事。
分配は生産と消費を調節する。
働きを評価し、分配に結び付ける。
分配は、生産を促す。
分配は、生活(消費)を成り立たせる。
支払準備としての「お金」を満遍なく、必要なだけ、配布する事は、分配の前提となる。
分配は、「お金」を介して人と物とを結び付ける行為。
分配は、「お金」と物の流れを作る。
分敗は、「お金」を循環させる。
分配は、価値を形成する。
生産の場と消費の場が乖離するに伴って、分配の場として市場が形成される。
市場は、分配の手段の一部である。
市場の重要な働きの一つが生産と消費を結び付けている事である。
経済的な働きに応じて、所得を分配し、市場から財を購入する。
経済の仕組みは、「お金」を循環させることで、生活に必要な財を、生産、あるいは、調達し。消費者に、分配する機関といえる。
経済の仕組みは、「お金」が循環する事で成り立っている。
故に、どのような力や働き、仕組みにとって、「お金」は、循環しているかが、経済の仕組みの鍵を握っている。
経済は、何によって動かされいるかである。それを知る事は、経済を制御し、経済の目的を達成するための近道である。
経済を拡大するにせよ、縮小するにせよ、経済変動に影響するのは付加価値である。
付加価値の何が経済に影響を与えるのか、そこが肝心なのである。
付加価値は時間価値である。
付加価値には、所得、利益、金利、償却費、地代家賃等がある
経済を動かしているのは、差を是正しようとする力である。
差には、定量的な差と定性的な差がある。
何を基準となるかによって差の力は、違ってくる。基準は相対的である。早い話、経済的価値は、測る事でないたっており。測る事は、対象と対象を比較事だからである。
基準には、前年とか、平均とか、水準などがある。
差が意味を持たなくなると、差の力は、働かなくなる。
差は余剰を生む。生産から消費を引いた差、所得から支出を引いた差、総人口から生産年齢人口を引いた差。差が余剰となる。
余剰資金、余剰生産、余剰設備、余剰負債を派生させる。
差が表しているのは変化(時間)と形であり。
差は、力と方向を示している。つまり、差は、位置と運動と関係を明らかにするための鍵である。
変化は、時系列で表される。
形が、表すのは、対象の構成、構造、分布、分散、偏り、歪、密度などである。
経済は、突き詰めてみると、生産量と人口に行きつく。それを、つないでいるのが所得である。
働いて所得を得られる人口と生産された物を消費する人口は違う。この点が鍵なのである。
「お金」の流れを生むのは、「お金」の過不足と入出金である。
経済の働きは、増減、上下、入出、拡大縮小、過不足によって表される。
経済を動かす要因は、最終的には所得と支出、貯えに帰結する。
貯えには、正の貯えと負の貯えがある。貯えは、ストックを構成する。
貨幣的貯えは、金融資産を構成する。
市場を制御する為に重要な要因は、物価の動向である。
物価は、市場の需要と供給で決まる。需要は消費を根拠とする。供給は、生産を根拠とする。
物価は、所得、生産、通貨量の関係で決まる。
物価の基礎的要件は、人口と消費量であるが、人口と消費量は、戦争や災害の様なものがない限り、急速に変化するわけではない。それに対して、所得や生産、通貨量は、変動的だからである。
物価上昇の物的要因の一つが、供給制約である。
経済の歪は、どこに生じるか。その一つは、フローとストックの関係にある。
1980年から2020年までのデータを見ると、ストックは一方的に拡大し続けているのに対し、フローは一定の幅、範囲内で増大と縮小を繰り返している。この点が、重要な鍵を握っている。ストックとフローの関係は、時間とともに変質している事を伺わせいる。
フローとストックは、密接な関係があり、切り離して考えるべきではない。
フローの帳尻を合わせるために、ストックが見放されているようにも見える。
特に、コロナ対策では、目先の対策を優先する事で、国の負債を度外視して、バラマキ政策がとられている。
これなど、フローとストックの関係を切り離して考えている証拠である。
対処療法的な政策をとられている限り、抜本的な解決は望めない。
金利は、元本の部分と利息の部分からなり。利息は、元本に利率を掛けた積である。
元本は、負債(貸借)に計上され、利息は、費用(損益)に計上される。
負債はストックを構成し、利息は、フローとなる。
貸借は、資金移動を意味し、損益は、取引の実現、決済を意味する。
元本と利息部分は、切り離すことはできない。
重要なのは、フローとストックは根幹的な部分で結び知ており、相互に影響を及ぼしあっているという点である。
フローは、売り買いによって、ストックは、貸し借りによって形成される。売り買いは、「お金」だけで成立するわけではない。
売り買いは、物のフローやストックを生み出す。
分配の過程で、流れ(フロー)と貯蓄(ストック)が生じる。
経済を、動かすのは、人・物・金の持続的流れである。
持続的な流れを維持するためには、人・物・「お金」各々に適度なストックが必要となる。
今の経済は、バランスを欠いている。
今の経済が、正常に働くの阻害している要因は、
余剰成果物、余剰収入をどう分配するかが、すなわち、必要以上の余剰が問題なのである。必要以上の余剰は無駄である。
現代は、何でも余剰にすればいいと考える傾向がある。そのために、何でもかんでも過剰である。
バブルも、過剰投資、過剰負債、過剰雇用が原因とされる。要は、人・物・「お金」の過剰なのである。
過当競争になって経費が圧縮されれば、総所得が減少する。生産効率ばかり追求すると、分配効率が悪くなる。
大切なのは、生産効率と分配効率、消費効率。フローとストックのの近郊である。
売り買いがフローを貸し借りがストックを形成する。
売り買いは、取引を実現し、貸し借りは、取引を準備する。
損益上では、売り買いは、収益と費用として現れ。
貸し借りは、資産と負債、純資産を構成する。
売りは立場を裏返せば買いであり。買いは、売りである。
同様に、貸しを裏返せば、借りとなり、借りは貸しとなる。
売り買い、貸し借りは表裏の関係になるから。取引の総和はゼロとなる。
収支と残高の総和は、ゼロで均衡する。
つまり、部門間の過不足を合計するとゼロとなる。
経済主体は、「お金」の入りと出によて働く。すなわち、収入と支出によって経済主体は機能している。
収入の働きは、売りと借金、支出の働きは、買いと貸付金によって表される。
貸し借りで支払いを準備し、売り買いで働きを発揮する。
常に一定の支払いを準備しておく必要がある。
投資された資金は、収益によって回収する事で生産と消費の均衡を保つのが市場経済の原則である。
収益の中から借金の返済をするのが原則。収益によって社金の返済ができなくなると借金を重ねて返済資金を捻出する事になる。そうなると、負債の抑制ができなくなり。収益の働きが薄れ、費用対効果が測れなくなる。
市場が機能しなくなり、価格を調整できなくなる。
また、金利などのフローが圧迫され、時間価値が消滅する。
物は生産の側から、消費の側に流れる。
物のフローは物流として現れる。
物流を阻害する要因の一つに供給制約がある。
飢饉の要因の一つは物流にあったとされる。この問題は現代でも変わらない。生産量だけでなく、物流も経済を阻害する要因になる事に注意する必要がある。生産地の偏りは、事故や戦争、政治問題などを原因にして重大な経済不安を引き起こす事がある。
物のストックは、資産を形成する。
物的ストックは、生産と消費、需要と供給の時間的ズレが原因で起こる。
物のストックが形成される原因には。
お米などの収穫時期と消費時期にズレがある。特に、収穫時期には、季節性がある。季節変動を平準化する過程でお米の在庫(ストック)が生じる。
また、商品には、流行り廃りがあり売れ残り商品を生じさせる。売れ残りがストックの原因になる。
経済は、人を本としている。故に、フローとストックの根源も人である。
人の、欲求が、物と「お金」の流れを生むのである。
今日、人が自分の欲求を満たすためには、「お金」が必要である。
「お金」を売るためには、所得を得る必要がある。
働ける年齢に達し、働ける条件を満たしていても、仕事に就けないで、就労を準備している。失業中の人口は、人的ストックである。
人的ストックは、人口を基礎として形成される。
どのようにして、「お金」のストックは形成されるのか。
つまり、「お金」のストックが形成される要因は、ストックの働きの源となる「お金」の働きである。
ストックは、生産手段や消費手段、分配手段である。この様な、経済的手段は、物的、金銭的資産となる。
生産手段とは、生産設備や土地等、消費設備は、住宅や道路、土地等。分配手段は、債券や株、固定性預金などを言う。
ストックは、長期的資金の働きの根拠であり。長期的効用によって形成される。
ストックを構成する要素には、
支払いの準備することもストックを形成する。
需要と供給は一致しているわけではない。生産と消費も一体ではない。
過剰に生産されることもあるし、生産が需要に追いつかず、商品が不足する事もある。
生鮮食料品の収穫は、天候に左右されるし、季節変動もある。生活必需品は欠かすことができない。故に、いくばくかの在庫を抱えておく必要がある。
また、生産設備の働きは、長期なわたるのが一般である。このように効用が長期にわたって発揮される資産もストックとなる。
ストックを構成する要因の一つは、余剰。つまり、預金。もう一つは、借金である。
余剰は資産を形成し、借金は、負債と純資産を構成する。
製造設備などの生産手段や、住宅のような消費手段に対する投資もストックを形成する。
経済計算は、加法的減算主義に基づく残高主義で、経済計算は、残高を基礎とする。残高は、利益や支出を平準化しようとすることを旨とする。
また、不測の時に備えて、余剰を貯めようとする動機が生じる。
ストックは、余りと残高主義によって生じるともいえる。要するに、残高は、集積される傾向があるのである。
ストックは、「お金」が寝ていて、まったく動きがないと経済学ではとらえている。しかし、実際は表面に現れるフロー以上に激しい動きをしている。そして、注意すべきなのは、経済主体の生死を握っているのは、実は、このストックが起こす流れなのである。
フローの流れは、実体的取引を裏付けにしているが、ストックによる流れは、信用という名目的な働きを裏付けとしているからである。
現代経済が抱える不確実性は、主として、債務の無原則な拡大に起因している。
経済を構成する要素は、食べる事だけではない。外敵や環境の変化から身を守る事も、重要な働きである。
食以外の重要な要素である、衣と住を生み出すのである。
この様に、生きていく為に必要最低限の資源を確保する事が出来たら。次に求められるのは、自己実現の手段だある。
自己実現の手段は、文化を生み出す種となり。人間らしさを追求する事はとつながる。
外敵から身を守る事は、自然状態では、必然的な事である。
今の日本人は、自分の力で自分を守る事を、罪悪のように思い込んでいるが、自然状態では、小鳥だって、蝶のような虫ですら外敵から身を守る為に、いろいろと工夫している。自然状態は、自分の身を守れなければ、生きていく事はできないのである。
経済の一端は、常に、外敵から身を守ることに割かれている。
環境から身を守る事から、衣と住は、発展したと言える。
環境から身を守るというのは、生きていく上で絶対的な要素とは言えない。その証拠に、人間以外の動物は、衣服をまとているわけではないし。巣を持ったない動物も、多く見られる。
ただ、こと人間にとって衣服と住居は、生きるために欠くことのできない経済的要素の一つである。
衣食住は、経済の基礎となる。
個人は、集まって組織や機関を形成する。
近代経済は、国家を形成する過程で、生産、分配、消費等の局面で、働きに応じていくつかの部門を形成するようになる。
生産という局面において民間法人企業と家計。一般政府も生産主体ではあるが、営業余剰は存在しないとされる。
分配という局面で、非金融法人企業、家計、一般政府、金曜機関、海外部門、対家計民間非営利団体。
消費という局面で、家計と一般政府、金融機関、対家計民間非営利団体。
収入と支出は一体であり。市場の取引の総和は、ゼロに均衡する。この事を前提とすると、経済主体間の取引の総和もゼロになる。
消費主体である家計が、資金余剰主体となって、生産主体(主として非金融法人企業)が資金不足主体となることで、資金を循環させる。
なぜならば、営利団体である非金融法人企業は、収益の中から借入金の返済ができるからである。
収益によって、借入金の返済をすることで拡大再生産が図れる。
全体の均衡を保つ働きをする機関が金融と一般政府。金融が名目部分、般政府が実質部分の均衡を担っている。
お金は、代替(為替、手形)、交換(預り証、借用書)、不足の補填、信用、納税、支払いといった機能から発展し、それが価値の創造、決済、尺度、保存という働きに昇華した。
この点は、お金の働きを知るうえで重要な要素となる。
「お金」の働きや性格は、局面によって変わる。
第一に、「お金」は交換(購入、支払)の手段である。「お金」は、譲渡できる。「お金」は、物を購入する為の手段である。
第二に、「お金」は、生産(投資)の手段である。
第三に、「お金」は、分配の手段である。
第四に、「お金」は、支出(消費)の手段である。
第五に、「お金」は、貯蓄・価値保存(支払準備)の手段である。「お金」は、保有、所有できる。
第六に、「お金」は、決済の手段である。決済とは、取引を終了させることを意味する。
第七に、「お金」は、評価の手段である。「お金」は、働きを評価する手段である。
第八に、「お金」は、価値を測る手段(基準、尺度)である。
第九に、「お金」は、計算手段。
「お金」は、価値を数値化する働きがある。貨幣価値は、離散数であり。自然数である。
貨幣価値の計算は、加法的減産を基本とし、余り算を基本とし、残高主義である。
「お金」は、価値を一元化する働きがある。
第十に、「お金」は、貸し借りの手段である。
第十一に、「お金」は、匿名性がある。
「お金」は、拾っても、盗んでも、奪った金でも見分けはつかない。
「お金」は、匿名性をもつ。
第十二に、「お金」は、移動が可能だという事である。
現在の経済は、「お金」を社会に循環させることで成り立っている。
経済の仕組みは、「お金」を循環する事で、生産を促し、分配を実現させる。
故に、経済の仕組みの要は、「お金」を循環させることである。
いかにして。何によて、「お金」を循環させるのか。それを、解き明かすことが、経済を知ることにつながる。
「お金」は、循環することで力を発揮する。基本的に貨幣的現象は、回転運動である。
「お金」は、不可逆的に一方向に流れていては、効力を発揮する事はできない。
「お金」は、血液のように、社会をくまなく、絶え間なく、循環する事で、その力を発揮する。
「お金」が回らなくなったれば、経済は破綻するし。流れない部分が生じれば、その部分は、経済的に壊死する。
経済を維持するためには、「お金」を全体に、常に、満遍なく、循環させ続けなければならない。
「お金」を循環させるためには、「お金」の流れを作る必要がある。
この様な、体制を維持するためには、予め、全ての人に必要なだけの「お金」が満遍なくいきわたっていることが必要条件となる。
「お金」を循環させるうえで、税金の働きをどう考えるかが、重要な鍵となる。
経済の最終も目的は、消費にある。故に、買う事で経済は実現する。
経済の目的は、豊かな消費を実現する事で。そのために「お金」を稼いで、物を生産する。
金儲けは、手段であっても目的ではない。
そして、経済の主役は消費主体であるから。消費主体の支払いを準備する所得と消費支出が、肝心要となるのである。
分配は、経済的働きに応じて支払準備である「お金」を配り。
経済的働きによって得た報酬を支払て必要な資源を市場から調達するという二段階で実現する。
報酬は、生産活動に結びつくから意義がある。
また、労働は、生産活動と報酬を結びつけるから意味がある。
「お金」を配って、支払いを準備し、市場で、必要な物を買う。
「お金」は、支払いを準備し、効用を発揮する。
収益や貸し借り、税、所得、贈与は、支払いで準備し、買いで効用は発揮する。
支払いを準備する中で所得だけで費用に計上される。
市場取引は価格を構成する。価格は、需要と供給と通貨量によて定まる。
買いは、「お金」の効用、交換価値を発揮する。
収益や貸し借り、税、所得、贈与は、支払いで準備し、
売りとは、生産の促し、支払いを準備する。
借りは、支払いを準備し、債務と金利を生成する。貸しは、支払いを準備し、債権と金利を生成する。
債権と債務が「お金」を派生させるのか。「お金」の流れが債権と債務をうむのか。
債権と債務が「お金」を派生させるのか。「お金」の流れが債権と債務を生むのか。
「お金」の流れには、市場の表面で「お金」の効用を発揮させる流れと市場の水面下で支払いを準備する流れの、二つの流れがある。
損益上には、表面の流れしか補足できないが、現実には、水面下の流れを正しく補足していないと、「お金」の流れは、循環しなくなる。
「お金」の働きは、「お金」の出と入り、すなわち、入金と出金によって発揮される。
入金とは、収入を意味し、出金とは、支出を意味する。つまり、経済の仕組みは、収支によって動いっている。
この点を間違えてはいけない。損益は、「お金」の働きを示す指標であって、実際に、経済の仕組みを動かしている訳ではない。
実際に、経済を動かしているのは、現金収支である。
そして、注意しなければならないのは、損益は、現金収支の総ての流れを補足しているわけではないという点である。
「お金」は、経済を構成する要素を出たり、入ったりしながら、循環し、経済の仕組みを動かしている。
経済を構成する要素は、各々、「お金」を循環させるための役割がある。
「お金」の効力は、「お金」を使う事で発揮される。
「お金」は、使わないと役に立たない。「お金」は、使えばなくなる。
なくなるから、現金は、新たな入金がなければ、不足状態に落ちる。
この現金の過不足が、「お金」の流れを生み出すのである。
「お金」は、使われることで、なくなる。それ故に、「お金」は、絶え間なく補給され続けなければならない。
「お金」を補給、すなわち、得るための手段や、行為が、生産に結び付くことで生産が促され、経済の仕組みが活動するのである。
「お金」は、価値を一元化する。人や物の単位に、貨幣単位を掛け合わせる事と経済的価値は一元化される。
「お金」は、価値を数値化する。
貨幣制度が成立するための初期設定が必要となる。
いかに、紙幣の貨幣価値を国民に認めさせるかがカギとなる。
貨幣価値は、交換価値であり、紙幣そのものには実体がない。
紙幣を生成、供給し、回収と言う過程を経る事によって、市場に循環し始める。
経済的価値を数値化し、一元化する事で、経済的価値を演算化することができるようになる。
これが、「お金」の効用である。
労働と物の経済的価値を足したり、引いたり、比較したりすることが可能になる。
電気や通信といった目に見えない物の経済的価値を計測する事もできる。
今日、我々は、何の疑問も持たずに価格を計算しているのである。
現在の貨幣制度は、硬貨と紙幣から成り立っているが、市場経済の主たる働きを担っているのは、紙幣である。
ここでは、紙幣を基礎として以後論理を進める。
「お金」を機能させるための機構。
紙幣を生産するためには紙幣とは何かを明らかにする必要がある。
以上のような貨幣の特性が、紙幣を生産させる機構を制約する。
経済を主となって動かすのは、所得である。
所得は、収入の一種である。経済の働きは支出によって発揮される。
費用というのは突き詰めると人件費の塊である。つまり所得である。
例えば、光熱費は、電力会社やガス会社の売り上げであり。その中には人件費が含まれている。
電力会社の人件費を除いた経費も取引相手の売り上げで、同じように人件費がある。
そのようにして突き詰めると費用というのは人件費の塊なのである。そして、費用は所得である。
この点を間違うと、ただ費用は、削減すればいいと、錯覚するのである。
所得と支出の関係は、物価として現れる。
経済は、所得と物価、そして、貯えの関係に集約される。
貯えには、正と負があり、貯えは、ストックを形成する。
ストックは長期的資金の働きに還元される。
長期的資金は始終の裏で支払い準備として働く。
貯えは、経済手段に対する投資に還元される。
経済手段に対する投資は一方で収益を生み出し、もう片方で負債を生む。
また、負債は債権と債務を派生させる。
投資は、物的資産と金融資産を構成する。
資産には、家などの物的資産と、預金等の金融資産がある。
経済手段には、付加価値を生み出す生産手段と社会資本を構成する消費手段、支払いを準備する分配手段がある。
長期的資金の動きは、市場の裏で働き。表面に現れる景気に左右されない。
表面に現れる景気は短期的働きによって起こされるからである。
しかし、貸し借りは経済主体の死命を制する。
長期的資金は余剰資金から形成されている点に注目する必要がある。
担保するのは、将来の収益と含み益である。
市場が成熟すると収益が見込めなくなり、資産価値も伸びないと借金の返済に回す資金に滞る。
経費を削減し、過去の資産を食い潰すしかなくなる。
金利だけが問題なのではない。
市場の表面に現れない元本の返済が売買と同じくらい、場合のよってはそれ以上に経済に影響を及ぼしているのである。
一般に、負債というと金利ばかりが注目される傾向があるが、実際は損益上に現れない元本の返済が死命を制する。
市場の表面に現れる景気は短期的資金によって動かされ。
市場の裏で働く資金移動は、長期的資金によって動かされる。
長期的資金は余剰資金によって貯えられ、支払いを準備する。
家計は、所得、支出、貯え(蓄え)からなる。貯えは余剰資金である。
貯えは、金融資産と負債によって構成されている。
支出には、固定的な支出と変動的な支出からなる。
固定的支出は管理可能な支出と管理不能な支出がある。
所得では、可処分所得が鍵を握っている。
可処分所得とは総所得から管理不能な固定的支出を差し引いた値である。
所得の問題で見逃せられないのは、人口の問題です。
問題の根っこにあるのは、収入力がある人口とない人口が混在している点である。
これは、雇用問題であり、年齢構成の問題でもsる。
税を収める人口と収めない人口の人口構成は、生産と消費、所得の水準を考える上で鍵を握っている。
経済は、「お金」の出、入りで動いている。「お金」の出、入りには、どの様な働きがあるか。箇条書きにしたい。
「お金」の出、入りは、支出と収入、すなわち、収支を意味する。
「お金」の力によって経済の仕組みが動いている今日、収入と支出の構成が鍵となる。
家計の収入は、所得と借金と貯えの取り崩しであり、支出は、消費支出と借金の返済、貯金(保険を含む)、そして、税や社会保険等である。
民間企業は、売り上げによる収入と借入金と資産の処分による収入、資本。支出は、費用に関わる費用と借入金の返済、資産の購入、配当と税である。
問題は家計で言えば所得と消費支出の構成と関係である。
注目すべきことは、所得を獲得する人口と消費人口は一致してない、つまり、違うという事である。この点が重要なのである。
一人の所得で養う人の数が豊かさの基準となる。
消費高齢化が進むと消費人口、すなわち総人口にたいし生産労働人口が減少する。その分、実質的な所得が増えないと、一人当たりの消費に実質的な所得は減るのである。
生産性が上がらない限り、少子高齢化は実質的生活水準の低下を招く。
これは、貨幣経済の本質の一面を表している。
消費が所得を拡大し、所得が消費を制約する。
消費は価格の低下によて拡大し、所得は、収益の拡大によて増加する。
価格は、生産性の向上によって低下し。利益は、価格の上昇によって拡大する。
経済は、収入と支出、所得と消費支出、価格と生産性の均衡の上に成り立っている。
経済で重要なのは釣り合いであって、どちらか一方が良ければいいと言った短絡的の事はない。
例えば値段は安ければいいというわけではない。
要は、質と量と密度の関係である。
収支の働きを制約するのは時間である。
収支には、以下のような性格がある。
支出は、硬直的で固定的。
収入は、流動的で変動的。
ある部門、主体の収入は、他の部門、主体の支出であり。ある部門、主体の支出は、他の部門、主体の収入を意味する。
部門間、主体間の「お金」のやり取り、過不足をよくみる観察する事である。
注意すべきなのは、借入は、支出ではなく、収入だという点である。
借入金は、約定に従って、一定の返済、支出が義務付けられる。
返済は、フローを基礎にしてされる。
家計の主たる収入は、所得で、民間企業の収入源は、売上、金融機関は、金利差、一般政府は、税収。
家計と企業の負債は、借金で金融機関の負債は、預金、政府は国債。
収入で重要なのは、資金源。誰から、何を根拠として「お金」を受け取るかである。
注意すべきなのは、収入と収益とは違う。収入と所得とも違う。
収益は、売上である。しかし、売り上げに、必ず、現金収入が伴っているわけではない。また、収入の中には借入金によるものも含まれる。
収益は損益に基づく概念であるのに対して収支は入出金に基づき概念である。
所得とは何か。
所得というのは、収入を得るために必要とされた経費を差し引いた金額を言う。
要は、所得というのは、自分が、消費の為に必要な支出をいう。
特に、可処分所得が重要なのである。
所得は、購買力を決定づけるからである。
借金は悪いとか、返すとか、返さないとか。訳のわからない議論が横行している。
借金も収入を得るための手段に一つでである。いいとか、悪いとかを問題とする以前に、その働きに注目すべきなのである。
借金とは、支払い準備のための資金移動である。
市場取引は、対価、何らかの反対給付を前提として成り立っている。
市場取引は、単独ではなりたない。必ず、売り手と買い手が一対になって成り立っている。
故に、市場取引は売りと買いの均衡の上に成り立っている。それが、需要と供給の関係の下となっている。
収入の手段は、
注意して欲しいのは一部解釈の仕方によって重複する要素がある点である。
支出の働きで重要なのは、「お金」の使い道。何に対して、何を目的として「お金」を使うのかである。
例えば、生鮮食品のように生きていく為に不可欠な物に支出するのか、公共投資のような、社会資本に対する支出なのか、商品を製造するために必要な原材料に対する支出なのか。
使い道、対象によって支出の性格や働きは変わってくる。
支出は、
注意して欲しいのは一部解釈の仕方によって重複する要素がある点である。
「お金」の働きを計測する基準として、期間損益と現金主義がある。
期間損益に基づくのが非金融法人企業と金融機関である。
一般政府と家計は、現金主義である。
損益はお金の働き。実際に経済を動かしているのはお金の流れである。
期間損益は、複式簿記に基づいている。複式簿記は、借方と貸方によって構成されている。
借方は実物的流れ。貸方はお金の流れを 表している。
現在の経済で予算は、重要な働きをしている。
その割に予算の働きは軽視されている。
予算の働きを、経済の変動の一部に組み込んでいる経済学は少ない。
予算は、予測と予定(計画)の二面性がある。
つまり、収入を予測し、支出を計画、予定する。どちらに重点を置くかで予算の働きや性格、役割が違ってくる。
それは、支出は予定が立てやすいのに対して、収入は、予定が立てにくい事に起因する。
これは、経済の在り方を象徴している。
支出は、固定的で確実なのに対して、収入は変動的で、不確実である。
変動的で不確実な収入をいかに安定させるかが、支出を状況の変化にどのようにして適合させるか。それが、経済の第一の課題である。
日本の財政は、法で定められた予算に則って施行される。
ここでいう予算は、民間企業でいう予算と性格を異にする。財政予算は、単年度で均衡する事を原則とされ、しかも、法による制約を受ける。
財政の原則は以下のとおりである。
財政は、景気の動向に関わりなく先決めであり。それが、財政を硬直化する要因の一つである。
また、財政は、現金主義で損益に基づく会計とは違う原則で測られている。
市場経済は、「お金」の働きによって成り立っている。
「お金」の働きには長期的な周期を持た働きと、短期的な周期の働きがある。
長期的な周期の働きはストックを形成し、短期的な周期の働きは、フローを形成する。
長期的資金の働きと、短期的な周期の働きは、収支構造を形成する。
長期的周期の「お金」の流れは、一時的に巨額の支出をし、それを長期間かけて回収する投資によって成立する。
短期的周期の資金の流れは、単位期間の資金決済に用いられ、「お金」の効用、市場価格を確定する。
正の働きとは、市場取引の表面、すなわち、損益上に現れる働きを言い。負の働きとは、市場の裏側で働き、損益上に現れない働き、貸借上の働きを言う。
正の働きは、市場の表面で取引を成立させ、負の働きは、市場の裏で支払いを準備する。
市場には、正の働きと負の働きが均衡させようとする力が働いている。
「お金」は、基本的に負の働きをしている。「お金」の本質は、負債なのである。
「お金」の本質は、借金である。借金だから「お金」は、循環するのである。
現在の貨幣経済は、借金経済と言える。借金というの負のイメージを持たれている。実際、負債は負の働きをしている。しかし、市場経済は、負の働きがあるから成り立っている事を忘れてはならない。
社金が成立しなくなる事態が危険なのである。例えば、収入が安定しているから借金が成り立つので、正規雇用が成り立たなくなると、借金も成立しなくなる。雇用の質も経済にとって重要な要素である。
問題は、「お金」は、何によて動くかである。
経済を予測したり、政策を立てたり、対策を立てる上での肝は、何が「お金」を動かしているか、すなわち、「お金」を動かしている力を明らかにすることである。
「お金」は、なぜ、動くのか。それは、失われるからである。つまり、消費されるからである。消費されば不足する。
物は消費すればなくなる。「お金」は使えばなくなる。なくなれば不足する。不足すれば、物も「お金」も補充する必要がある。
不足しても困らない物は、補充する必要はない。不足すると困る物だから補充するのである。
物や「お金」の過不足が、「お金」を動かす原因を作るのである。
「お金」を動かす力は人的的要素は、消費により。
物的要素は、生産に、「お金」の要素は、分配によって生じる。
「お金」を動かす力の源は、人である。
根本で「お金」を動かしているのは、人の欲求、欲である。
「お金」を動かす力は、物の過不足からも生じる。
「お金」を動かす力には、「お金」自身の持つ力もある。
「お金」を動かす力は
「お金」を動かす力は、何を起因として力を発揮するのか。それが明らかになれば、経済を制御する事が可能となる。
人の欲には、生存欲がある。つまり、生きたいという欲である。次に、物欲である。そして、性欲。自己顕示欲(名誉欲)。食欲等がある。
この様な欲が、「お金」を動かし。経済を動かしているのである。
人の力は、「お金」の使い道に働く。要するに、支出に現れる。人の力には、人々の欲求が根底にある。
人が「お金」を動かす手段は、現金収支である。
現金収支の手段が労働と所得である。基本は、働くなどの経済活動を通じて得た、所得が、支払い原資となるのである。
所得は、支払う側から見ると人件費である。また、受け取る側からすると生活費の原資となる。生活費こそ経済の基幹である。
「お金」のはたきは、入出金によて発揮される。
消費主体の中心は、家計である。家計の、収入は、所得である。所得を獲得する手段が経済を考える上で、鍵となる。
税制では
の十に区分されている。
現金収支による「お金」を動かす人の力の要因を整理すると以下のようになる。
少子高齢化は、人口構成の問題である。人口構成に影響を与える要因には以下の事がある。
「お金」を動かす物の力は、需要と供給がある。需給は物価に反映する。
在庫には、需給を調節する働きがある。
在庫は、過剰生産から生じることがある。
設備投資は、長期資金の流れを生み出す。
「お金」の流れは、売り買いの流れと貸し借りの流れがある。
売り買いは、フローを、貸し借りは、ストックを各々構成する。
「お金」が、「お金」を動かす力は、売り買い、貸し借り、各々に働く。
「お金」を動かす要因の一つに金利がある。
金利は、元本と利息と利率によって構成される。
これは、ストックとフローの働きの根拠となる。
金利以外に「お金」を動かす力に利益がある。
利益は、収益と費用の差額である。
利益は、収益と費用と利益率によって構成される。
通常、消費主体が資金余剰主体で、生産主体が資金不足主体である。
なぜならば、生産主体は、付加価値を生み出すこと資金を回収することが可能だからである。
ところが、今は、生産主体である、非金融法人が資金余剰主体だと言うこと。
「お金」は、分配の手段である。
市場経済では、まず、「お金」を分配し、分配された「お金」を使って、生活に必要な財を市場から手に入れるという、二段階の工程を経ることで分配は実現する。
一般に、分配というと市場ばかりに目を向けがちだが、実際の、分配は、第一段階の「お金」の分配に負うところが大きい。
そして、第一段階の「お金」の分配は、組織的に行われるところが、大きい。
「お金」をどのような基準、制度、根拠で分配するかが、本来、経済で最も重視されるべき部分なのである。
人を怪しくするのは、分配の段階においてである。
「お金」は分配の手段であり。分配の根本は、生産と消費を関連付ける事である。
「お金」には、生産を促す働きと、消費生活を成り立たせる働きが求められる。
それを、両立するのが分配の仕組みであり、その手段が「お金」である。
市場が追求するのは廉価ではない。追求すべきなのは適正な価格。なぜならば、市場は、分配の場だからである。
分配を定めるのは、費用。故に、適正な費用であり。費用対効果である。
費用の基となる収益の確保である。
問題となるのは、損失と過剰な収益、利益である。
適正な費用が維持できないと分配に支障をきたす。
競争を市場の原理と誤解する者がいるが 、競争は、手段であって絶対的な事ではない。
市場経済は、生産活動を収益に変換し、消費活動を費用に転換する事で生産と消費を結び付け、経済か都度全体を制御してきた。
そのために、損益取引と貸借取引を明確に区分してきたのである。
損益取引と貸借取引の区分がなくなり、直接生産活動に関わらない資金を消費支出に使用すると、消費によって生産に対する働き制御する事が出来なくなる。それは、「お金」の働きを根底から覆す事に繋がるのである。
市場では、市場の状態が経済に決定的な影響を及ぼす。発展中の市場と飽和状態の市場とでは、取るべき政策が違う。
高度成長は、市場が飽和状態になると収束する。
市場経済は、人、物、「お金」、各々が、固有の場を持っている。
人や物は、有限数で、「お金」は、上に開いている。人と物は有限だが、お金は無限。
物は、連続数、人と「お金」は、離散数。
また、貨幣価値は、自然数であり。余り算、加法的減算である。余り算だから、残高主義である。
残高は、ストックとして蓄積される。
経済の働きは、前提条件によって制約を受ける。
人や物の働きが正の働きだとすると、「お金」は、負の働きである。
人や財は、「お金」と掛け合わされることで、価値が一元化され、演算が可能となる。
人・物・「お金」各々、独自のフローとストックを持つ。
市場では、物の流れと在庫、「お金」の流れと貯蓄がある。
物の流れと「お金」の流れは、逆方向に対称的に流れている。
物が流れる場と「お金」の流れる場は、個々独立していて、取引によって結び付けられている。
労働と所得によって人と「お金」が結びつき。
売りと買いによって物と「お金」が結びつき。
生産と消費によって物と人が結びついいている。
これらの関係を仲介しているのが需要と供給である。
「お金」の力は、金利や資産価値の変動のような形で現れる。
人の力は、消費として現れる。
物の力は、生産として現れ、消耗、劣化、不足として計測される。
生産主体は、生産財を生産する為に、個人が集合して形成された組織である。
生産主体には、非金融企業法人と家計がある。
生産主体は、生産手段である生産設備に原材料などを投入して、何らかの製品を製造、販売し、収益を得る主体である。
生産主体の働きを箇条書きにすると。