街は、クリスマスの為のイルミネーションが飾られ、山は、紅葉に彩られようとしている。見た目は、去年と何も変わっていないように見える。しかし、イルミネーションに飾られた公園を行き交う人々もまばらで、街はゴーストタウンの様に人影が消えてしまっている。
2020年11月現在の今と去年の今頃とでは、全く違う。別世界と言っていい。withコロナなんていうが、すでにマスクをする生活が日常になってしまっている。
この点が重要なのである。そして、コロナ騒動の起こる以前の世界は、やがて、忘れられ、記憶の奥底へと沈んでいく。コロナ後の世界は、現実になりつつある。
だからと言って、コロナ後の世界が明らかなわけではない。未来は深い闇に閉ざされている。
過去の経験や出来事は、通用しない。コロナ、コロナというけれど、コロナは、これから起こる経済変動のキッカケに過ぎない。市場の根底には、もっと本質的な要因が潜んでいる。
現在は、戦時経済と同じで、とにかく、コロナの収束に全力を尽くしている。その為に、コロナ対策以外の事が影を潜めているが、根本の原因が解決されたわけではない。 恐慌にせよ、財政破綻にせよ、ハイパーインフレーションにせよ、偶然に起こるのではない。人為的に起こされる現象であることに間違いない。
予測できるかではないかの問題は、別にして、何らかの政策が引き起こした事象である事を忘れてはならない。
コロナによって今進行している経済の変動が隠されてしまっている。財政問題は、何も片付いていないし、日本銀行が保有する国債の残高は、天文学的な値である。
コロナ騒動の背後でどのような変化が起きつつあるのか。今こそ、しっかりと見極めておかないと、コロナ後に予測される激動の時代を生き抜くことはできない。
コロナの後の世界を生き残るためには、先ず経済の仕組みを明らかにしておく必要がある。
経済変化は、いくつかの要素が複合的に作用する事で起こされる。一つの要素だけを探っただけでは原因は掴めない。全体的な推移を観察しながら、経済変化は、その時の全体に、どの様な要素が作用した事で、引き起こされたかを見極める必要がある。
「お金」の流れによって生産財を必要とする人に配分する事で経済は成り立っている。生産と消費との間を仲介している手段が「お金」なのである。
「お金」の流れの働きを無視して経済の動きを説明しようとするのは、電気の働きを無視して電気製品の効用を説明しようとしているような事である。 経済を複雑にしているのは、実体的「お金」の流れと名目的「お金」の流れが混在している事による。経済における実体的な流れは、人、物、「お金」の流れに他ならない。
現代の経済は、経済主体を「お金」が通過する事によって成り立っている。 つまり、経済主体は、「お金」の通過点、中継点なのである。市場経済は、「お金」が経済主体の間を流れなければ、経済が成り立たないような仕組みになっている。
経済の動向を見る時、需要な要素は、通貨の総流通量、部門間の配分、そして、比率である。どの部門にどの程度のストックが蓄積されているか、それが鍵を握っている。
市場には、売買による「お金」の流れと貸借による「お金」の流れの二つの「お金」の流れがある。
売買は、市場の表で、経済の働きを発揮され、経済の目的を実現する。そして、実体経済を動かしているのは、売買取引である。売買は、収益と費用を形成する。故に、収益と費用が市場経済の柱なのである。
市場を動かす取引は、市場の表面に働く売買取引と市場の裏で働く貸借取引がある。広義で捉えれば資本取引も貸借取引の延長線上にとらえる事が出来る。
売買取引は、決済を意味し、貸借・資本取引は、移転を意味する。この点が重要なのである。ストックと雖も、資金の流れがないわけではない。むしろ、決済と同量の移転があると考えていい。貸借は、支払いを準備する行為なのである。
conda install seaborn
import numpy as np
import matplotlib as mpl
import matplotlib.pyplot as plt
import pandas as pd
import seaborn as sns
%matplotlib inline
資金の過不足が、なぜ、生まれ。それがどのような「お金」の流れを作り出すのか。 そして、資金の流れは、どの様な働きをしているのかを見ていきたい。
資金の過不足、流れを生み出すのは、「お金」の出入りである。
「お金」は、使う事で効用を発揮する。紙幣は、使わなければ、ただの印刷された紙である。「お金」を使うとは、財やサービスと交換する事である。「お金」の効用は、それ以外にはない。つまり、「お金」は、交換価値を表象した物なのである。
「お金」は、使えばなくなる。つまり、「お金」は、使うと不足する事になる。故に、常に、「お金」を補充し続けなければ経済主体は維持できない。使うとなくなる。「お金」が不足すると生活に困る。常に、「お金」を得る為に働き続けなければならなくなる。 この収入を得る為の働きと、必要な資源を市場から購入するという働きによって市場経済は成り立っている。
市場経済は、入金と出金、即ち、収入と支出によって効力を発揮する。市場は、「お金」の流れによって動いているのである。
収支とは、収入と支出である。
では、貸借の役割とは何か。貸借は、支払いを準備する。売買が成立する為には、買い手は、資金がなければならない。つまり、買い手が資金を準備する手段の一つが借金なのである。「お金」がなければ、何も手に入れる事が出来ない。そこに「お金」の大切さがある。現代社会の犯罪の多くは、何らかの形で「お金」が絡んでいる。それは、「お金」の働きの重要性の証である。 そして、貸借は、支払いを準備する。多くの人は、一般に、「お金」が不足したら借金をする。
貸借は、市場の裏にあって売買取引を準備している。故に、売買取引と貸借取引は表裏をなすのである。
その証拠に「お金」の本質は、借用証書である。紙幣は、債権であり、債務である。
債務(負債、借金)は、成長の原動力となるが、同時に、成熟期には、衰退の原因となる。
注意しなければならないのは、損益と収支は違うという事である。損益は、収益と費用の関係によって成立し、利益の基となる。それに対しても収支は、現金の収入と支出を指す。収益は、売買からのみ生じるが、収支は、売買だけでなく、貸借や贈与からも生じる。
ここで注意しておかなければならないのは、損益が成り立つのは、法人企業だけだという事である。法人企業の中には、民間金融機関も含まれる。要するに、営利事業が許されている部門だけが、損益が成り立つ。非営利団体には、損益が成り立たない。なぜならば、非営利事業は、非市場事業だからである。
故に、家計と財政は、現金主義なのである。つまり、家計と財政は、現金収支でしか測れず、損益は成り立たない。そういう意味では、損益が成り立つのは、生産・供給サイドであり、消費・支出。需要サイドでは収支に依らなければならないのである。
「お金」さえ回っていれば、経営は持続できる。例え、それが借金だとしても、収入にはかわりない。生活はできる。
借金で生活できるとなれば、労働意欲は急速に低下するだろう。モラルもなくなる。 労働という事について錯覚している人が多い。労働は、自己実現の手段の一つなのである。
「お金」さえ回ればいいとなれば、需要も供給も関係なくなる。価格が価格としての働きをしなくなる。価格は、需要と供給を調節するのが基本的な働きなのである。
バブルには、伏線がある。高度成長が終焉した事で、本業で思うような収益が確保されなくなった。その時に円高とオイルショックが日本を襲ったのである。それがバブルの伏線である。 円高は、高度成長が終わった事と重なって輸入産業の収益を増々、圧迫した半面、資産克の上昇を招いた。大量の余剰資金を生み出したのである。それが、多くの企業を財テクに走らせた。また、資産価値の高騰は、相続税対策も活発にした。
要するに、生産に結び付かない余剰資金が大量に発生した事である。その事で実需と資金価値とが乖離したのである。
家は、住むために建てる。投資の為に家を建てるのは、二義的である。生活をする為に家を建てるのが本義である。ところが、住む事を忘れて値上がりを期待して家を建てる人が増えた。バブルの時は、その為に、家の価格が異常に上がり、実際に家を必要としている人が家を買う事が出来なくなった。バブルの時、無理して借金をして家を購入した人は、長い事、借金の返済に苦しむことになる。最悪の場合は、破産する。
適正な住宅価格は、年収の7倍程度とされているが、それをはるかに上回る価格で取引された。それが、実需を市場から排除したのである。そして、土地から得られる収益を当てにするのではなく、キャピタルゲインをあてにした取引が横行したのである。
実需から乖離した取引は実体のない取引である。泡銭である。泡銭が泡と消えたのである。
実需は、所得を基礎として形成される。実需は、賃料に影響される。なぜならば、実需は、損益を基礎としているからである。投機が実需を上回るようになると経済は、空焚き状態となる。それがバブルである。投機資金が実需を市場から排除するのである。
2020年には、空き家が846万戸を数える。(住宅・土地統計調査)その反面に、オリンピック重要を当て込んだ、投資用のマンションが流行っている。コロナは、オリンピックを当てにしていた経済政策を根本から覆したのである。
経済の動きを、現金主義で考えてみる。 現金主義では、定収入、可処分所得、経常支出、借入金の元本と月々の返済額、貯蓄、資産、物価の変動、税などが主要な要因となる。
月々の収入は、経常的な支出の枠(制約)となる。月々の収入を一定に保つ仕組みが定収、即ち、月給である。借金の返済が定収を上回る様では、生活が成り立たなくなる。定収の範囲内で生活費を捻出する。それが、市場経済の基本である。これは、家計にかぎらず、全ての経済主体、民間企業も、政府も、金融機関も、国家も同じである。
現金主義では、貸借の流れは、表に現れる。借金の返済は、支出として明確に意識される。故に、収入以上に借金の返済が上回れば、生活が成り立たなくなるのは、実感として感じられる。しかし、損益主義では、金利は意識されても借金の返済は、意識されない。金が廻っているうちは安全なのである。しかし、時々、金回りが悪くなり、資金不足に陥る。
現金の支払いだけならば何も買わなければ問題がない。しかし、借金はそうはいかない。借金の支払いが滞れば、破産する。
倒産の直接的理由は、借金が返済できなくなる事であり、収益が悪化するからではない。損が出ても資金繰りさえつけば、経営は継続できるのである。
借金の返済額は、借金の元本と金利によって定まる。元本は、ストック・債務を形成する。債務は貸し手の債権であり、資産である。この関係が重要なのである。
現金主義では、安定した収入、できれば、定収入が確保され、それから、税や社会保障費と言った公的支出、借金の返済と言った固定的支出が引かれた残りから、生活費を捻出する。収入が得られなくなったら、生活が成り立たなくなる。支払準備としての現金残高が生活水準を決める。
現金主義では、損益が問題なのではなく。残高が問題なのである。それに対して市場では損益が重要となる。そして、付加価値を生み出すのは、損益である。
市場経済を動かしているのは、市場取引である。
市場取引を構成するのは、売り手と買い手、「お金」と財である。
市場取引は、一対の売り買いによって成立する。売りは売り上げの元となり買いは費用の本となる。売上は、収益である。売りと買いは一対で成り立っている。
売りと買いは、対称であり、この対称性が複式簿記の根拠となる。
売り買いは、財と「お金」の交換を意味する。売り買いは、売り手から買い手に財を渡し、買い手から売り手に「お金」を渡す事で成り立っている。市場取引は、財の受渡、現金の収支、つまり、受けと渡し。入金と出金の四つの要素からなる。
資金の流れを見る前に、市場経済は、収益と費用を柱にした体制、仕組みだという事を明記しておく。収益と費用は、分配を実現する唯一の手段だからである。 故に、経済の動向は、収益と費用の関係に還元される。
バブル崩壊後、三つの過剰が言われるようになってきた。三つの過剰というが、三つの過剰の意味が正しく理解されていない。三つの過剰というのは、過剰債務、、過剰設備、過剰雇用である。
この点が肝心なのである。
過剰債務というのは、負債が過大である事、過剰設備というのは、資産が過大である事、過剰雇用とは、費用が過大な事である。 決算を構成する要素は、資産、負債、資本、収益、費用であり。この内、資産、負債、費用が過剰だと言われているのである。 残されているのは、収益と資本(利益)。
つまり、収益や資本(利益)に対して資産、負債、費用が過剰だというのである。裏返せば、収益と資本、利益が不足しているのである。資産、負債、資本、収益、費用は、絶対的な値ではなく。相対的な値である。
負債や費用、資産だけを削減しても、収益と資本が、それに伴って減少したら抜本的な解決にはならない。
経済主体は、「お金」が廻れば、経営を継続できる。「お金」を借りたって、貰ったって、「お金」が廻っていれば、経営は継続できる。しかし、それでは、市場が機能しなくなる。市場の働きは、生産財を分配する事である。その手段が「お金」である。問題は、「お金」を獲得する手段なのである。手段を択ばなくなったら、「お金」は、正常に機能しなくなる。
収益を柱とした体制が崩れ始めると市場経済はおかしくなる。なぜならば、損益を逸脱すると生産と結びついた公正な分配が出来なくなるからである。
収益と費用が損益の根源となる。つまり、市場経済は、損益の上に成り立つ。貸借は、市場の裏で働いているのである。
「お金」の流れは、フローとストックを形成する。即ち、損益は、フローを貸借は、ストックを形成する。
資産家は、確かに、金持ちかもしれない。しかし、バブル全盛の時代には、資産家の貧乏人も沢山いたのである。要するに、資産は、持っているけど、収入が少ない。その資産も価格だけが高くて、売るに売れない資産だと最悪である。売るに売れない理由は沢山ある。自分が住んでいるとか、先祖代々の土地だとか、立地条件や地形が悪いという場合である。
「お金」があれば事業に成功できるとは限らない。「お金」があっても、「お金」を上手に活用して利益が上げられなければ、資産を食いつぶすだけである。
実際の収支を考えたら、本来、売りたくても売れない。貸しても回収できない。それでも不動産投資が止まらない。それは将来の資産価値の上昇を期待しているからである。将来の資産価値は、蜃気楼のようなものである。ありもしない価値をあるように錯覚しているに過ぎない。それがバブルである。
一旦、資産価値が下がれば、売りたくても売れない。貸しても回収できないという現実だけが残る。それが恐慌である。この様な状態になると債務の増殖を防げなくなる。
フローによる金持ちが実業家なら、ストックによる金持ちは、投資家である。
株の時価総額、アップル1,848,090(百万㌦)、マイクロソフト1,531,483(百万㌦)、アマゾン1,512,003(百万㌦)と天文学的な数字か並ぶ。ストックが異常に拡大している証拠である。注意してほしいのは、株は、生産性とは無縁だという事である。
新興企業は株の時価総額だけでなく、レパレッジを効かせて資本を増幅している例が多くある。問題は、収益が伴っていればいいのだが、必ずしも利益が伴っているとは限らない。
新興企業の多くは、時価総額大きいからと言って利益が上がっているとは限らない。赤字の企業も多いのである。例え、赤字だとしても時価総額が多ければ、資金調達に問題はない。ただ、その資金は、生産的行為には基づいていないという事である。名目的な価値、見せかけの価値に基づいている。実体がないのである。
バブルの原因は、フローから資金を調達する事が難しくなり、ストックに資金調達を頼る事にある。本業そっちのけに相場にのめり込んだ企業がバブル形成時には多く見られ、その大多数がバブルが崩壊する事で破綻したのである。
バブルは、資産価値の上昇が、恐慌は、収益、収入の減少が根本の原因である。 実質価値と名目的価値の乖離が根底にある。
貧国の原因の一つは、借金による事を忘れてはならない。その日の「お金」に困るのも貧しいが、借金で首が回らなくなるのも貧しいのである。
経済の実相を理解する為には、先ず、「お金」の流れを明らかにする必要がある。
「お金」の流れは、部門間の過不足と流れを生み出す。
借金、即ち、負債は、金利を産む。金利や利益は、時間価値を派生させる。付加価値とは、時間価値を見意味する。金利や収益は、時間の関数である。
バブル崩壊後、金利は低下し続け、2020年現在は、ゼロ金利、マイナス金利である。しかし、このような低金利時代は、異常なのであり、過去の歴史にはない。
例えば、1980年代前半、アメリカの政策金利は20%に誘導目標を設定していた。20%近い高金利も異常であるが。ゼロ金利、マイナス金利も異常である。金利がゼロという事は、実質的に金利の働きが失われ、時間価値が喪失したことを意味する。
intermediate investment 中間投入 y10、 Output of Goods 産出 y11、 Total assets 総資産合計 y12
全体の流れを見て見る。第一に、GDP。第二に、中間投入。第三に、総産出、第四に、総資産合計。
sk= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=0,index_col="y")
sk.head()
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.GDP)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(sk.y12)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(sk.y10)
plt.plot(sk.y11)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(sk.y12)
plt.plot(sk.y11)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
左上 GDP 右上 総資産合計 左下 中間投入=青 市場産出=橙 右下 総資産合計=青 市場産出=橙
フローの全体は、付加価値に現れる。付加価値は、総生産、総所得、総支出、すなわち、GDPを意味する。
企業では、生産サイドでは、d1、付加価値=Added value。
分配サイドでは、y5輸出-輸入=Export-Import、y6雇用者報酬=Employer compensation、y7 営業余剰・混合所得=Operting surplus、y8 固定資本減耗=Fixed asset depletion、y9 生産・輸入品に課される税=Tax imposed on production importsである。
支出サイドで見ると民間最終消費支出、政府最終消費支出。y5 輸出-輸入=Export-Import 企業法人では、b4、売上=sale。b5、原価=cost of sale。b6、在庫=stock。 b7、販売費、およぴ、一般管理費=selling,general and administrative expenses。 b8、経常利益=Ordinary profit。b9、営業利益=Operating income。b10、支払利息 Interest expense,etc。 前期、当期との差額は、資金需給を表している。
$GDP(支出)=民間最終消費支出+住宅投資+民間設備投資+在庫投資+政府最終消費支出+公共投資+輸出-輸入$
経済体制は、人々が生きていくために必要な資源も生産財を満遍なく分配する事を目的とした仕組みである。
経済の仕組みとは、人々が、生きていくのに必要とする資源を生産、調達し、全ての人に必要なだけ分配する仕組みである。(必要性の定義が経済体制の前提となる。)分配する手段が「お金」である。つまり、全ての人を活かす事が目的なのである。経済の仕組みが正常に機能しなくなれば人々は餓える。
必要とする資源の総量が経済量である。広義でいう経済量は、貨幣価値だけでなく、貨幣で測れる以外の資源も含まれる。ただ、便宜上、経済量は、貨幣価値で表される。
経済量は、人口と、単位消費量の積として表される。商品には、其々に寿命や流行がある必要する資源の構成は、商品寿命やその時々の人々の嗜好、生活の在り方に応じて変化する。経済量にはライフサイクルがある。
必要な資源の調達・生産、そして、分配、消費。必要は消費によって本来測られる。
経済は、生産量と分配、消費が均衡する事で成り立っている。
問題は、分配の手段である「お金」をどう配分するかである。本来、「お金」は分配の手段であり、分配するのに必要なだけ(量)あればいいのである。価格は、財の量と通貨量と人口で決まる。
成長もいつかは、止まる。食欲も満腹になればなくなる。いつでも飢えているわけではなく。腹が満たされる事は幸いなのであり、何も無理して飢えさせることはない。
商品の寿命による。かつては、商品寿命によって価格も設定された。商品の製造に携わる人間の口銭を基礎としたからである。
極端にいえば、仮に、十年の寿命のある商品を一年で売り切ってしまったら後の九年は、失業する事になる。九年間、生きていくためには、十年間を働かないでいいくらいの価格にするか、十年、かかって売り切る様にするしかない。
財は、本来必要なだけあればいい。家も人口以上に建設される事はなかった。要するに、必要性が価値基準となっていたのである。バブルは、住む家ではない家を量産した。ただ高価なだけで人が住む事を目的としていない家を大量に建ててしまった。しかも、少子高齢化が囁かれていた時にである。これこそ、経済原則に反した行為であるのに、あたかも、それが経済原則にのっとっているかのような説明がされてである。これは経済学の堕落を意味する。経済学が経済本来の目的を真向から否定したのである。経済は、金儲けの手段ではない。
ところが余剰な資金によって生産と分配、消費の均衡が保たれなくなった。それがインフレーションやデフレーションの真因である。
物量としての経済量は、有限である。人々が生きる為に必要とする資源は、有限であり、人口にも限りがある。人々が消費できる量には限りがあるのである。しかし、「お金」には際限がない。箍が外れたら際限なく拡大する。上に開いてしまうのである。
消費しきれずに余った物は、処分する。処分されなくても陳腐化したり、腐ったりして、使いものにならなくなっていく。それに対して、余剰な資金は、名目的価値を減価しないで金融資産として蓄積する。
経済は、部門間の遣り取りと均衡によって成り立っている。一国の経済料理基礎は、物量と人口によって制約される。制御する必要があるのは、「お金」の動き、過不足である。分配は、「お金」の配分によって決まる。故に、雇用が鍵を握るのである。
余剰資金の処理を間違うと市場は制御不能な状態に陥る。
経済は、生きる為の活動である。故に経済の目的は、国民生活を成り立たせることにある。 要するに、人が生活に困らなければ、「お金」に振り回される事はない。また、「お金」が機能しなくなれば、代替手段が生まれるのである。 「お金」が絶対なのではない。「お金」は、手段である。
100グラムの地金は、1グラム7000円の時、700万円である。それが、1グラム100円円値上がりすると710万円になる。しかし、金そのものの材質も量も変わらない。即ち、金の使用価値は何ら変わらない。ただ、使用価値は、用途によって変わる。単価が変わっただけである。単価を変えるのは、相場、即ち、人である。
産出は、売上に相当する。付加価値が増えるのは、基本的に総産出が増えるからである。つまり、総産出は収益である。
収益、産出が上がられなければ、付加価値も増えない。なぜならば、所得の限界は、産出によって画定されるからである。売上が、増えなければ、利益を上げられずに賃金も増えない。賃金ばかりを上げようとしたら、利益は減る。場合によっては、損失になる。利益がなければ、賃金は上げられないのである。
ところが多くの経済学者評論家は、所得だけを上げろ、賃金を上げれば景気は良くなると主張する。木を見て森を見ていないのである。近視眼的では全体の仕組みは見えてこない。
中間消費は、原価を意味する。付加価値は、粗利益に相当する。 中間消費と中間投入は一致するはずであるが、統計上に誤差によって若干の差が生じる。
付加価値や利益を生出す元は、売上、つまり、産出である。経済成長の源が付加価値だというのならば、産出まて辿って分析する必要がある。
付加価値の働きを理解する為には、付加価値が形成される過程を分析する必要がある。付加価値は、生産、分配、消費と貯蓄という過程を示している。生産は、物中心で、分配は、「お金」が中心となり、消費と貯蓄は、人の問題である。
産出と中間投入、付加価値の関係は、垂直的構造を、生産、分配、消費と貯蓄は水平的構造を形成する。
付加価値係数=中間投入係数(列)計という等式が成り立つとされている。 総産出-中間投入=付加価値とされるから、付加価値は、総産出の半分とみていい。 大体、中間投入係数は、50%とされるが、生産効率や中間投入の構造の変化によって幾分かの誤差が生じる。
注目すべきなのは、バブル崩壊後、総産出に対して資産合計が急速に拡大、即ち、フローに対してストックが急速に拡大している事である。
そして、コロナ対策がストックの拡大に拍車をかけている。
総資産、総産出、付加価値(中間投入、総生産、総所得、総支出)、雇用者報酬の関係を見ると経済の大枠が見えてくる。
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.GDP/sk.y12*100)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(sk.y10/sk.y11*100)
plt.plot(sk.GDP/sk.y11*100)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(sk.y10/sk.y12*100)
plt.plot(sk.y11/sk.y12*100)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(sk.y6/sk.GDP*100)
plt.plot(sk.GDP/sk.y11*100)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
中間投入に対して付加価値が増えるのは、生産性の上昇を意味する。1985年のプラザ委合意から2008年のリーマンショックまで、一見して生産性が上がっているように見えるが、全体の規模が変わらないという事は、総体的に生産性は、低下している。つまり、生産性が上がっているように見えて実際は、付加価値が生産の向上に寄与していない。付加価値の比率が上昇したのは、公共投資が増えた結果だと思われる。
働きを見る時は、単に、比率だけを見るのではなく、全体の規模と照合してみる必要がある。
雇用者報酬を総生産が下回るのは、資金の余剰を意味する。その事からするとバブル崩壊後、消費サイドは、資金的なゆとりを失っている事が窺える。
経済主体は、入出金によって効用を発揮させ、経済を動かしている。
収入源が必要。収入手段が問題となる。
前提は、支払準備がされている。
先にも述べたように、市場に流れる「お金」の流れには、売買と貸借の二つの流れがある。 決済によって生じる「お金」の流れと、支払を準備する為に生じる「お金」の流れである。 実際に財と「お金」を交換する事で、「お金」の効用を発揮する流れと、「お金」の過不足を補填して支払いを準備する為の流れである。
経済の仕組みは、現金収支、「お金」の入金、出金によって動かされている。
現金収支の手段には、売り買いによる決済と貸し借り等による資金移転がある。
「お金」は、分配の手段であり、尺度・基準である。「お金」は、分配の為の単位である。故に、「お金」で、何をどの様に測るかが肝心となる。この点を見落とすと「お金」の効用を理解する事はできない。何の根拠、基準もなく「お金」をバラ撒いたら「お金」は、「お金」としての機能を発揮できなくなる。
「お金」は、「お金」その単体で成り立っているわけではない。「お金」が指し示す物やサービスと言った経済的価値がなければ効用を発揮しない。「お金」は、「お金」。交換の手段であり、交換価値を表す単位である。
分配を実現するのは、決済である。決済の流れに対して、反対方向に物や用役が流れている。決済の流れが生産財の分配を実現するのである。
分配は、所得と結びつくことによって成り立っている。収益や所得は、生産と消費を結び付ける手段である。収益や所得に結び付かない資金は、生産性がない。収益と所得は、市場によって成立する。
資金移転には、貸し借りの他に徴税と給付(贈与)がある。資金移転、即ち、支払いを準備する為の取引は、主として貸借取引と資本取引からなる。
貸借の流れは、債権と債務を産む。
市場の表面に流れ、取引の決済を担っている売買取引に依る流れと、市場の裏側で流れ支払いを準備する貸借取引による流れである。 売買取引は、フローを形成し、貸借取引は、ストックを形成する。資本取引は、貸借取引の延長線上にあるとみなされる。
収入の手段には、所得と借入金がある。支出の目的には、消費と投資がある。つまり、収入の根源は、生産であり、支出の根源は消費である。
生きるためには、必要な資源を消費者は、市場から購入する。購入とは、「お金」を支払って財を市場から手に入れることを意味する。 財を手に入れるためには、物を売ったり、働いて報酬を得たりして「お金」を準備する必要がある。
表には、現れないがストックにも流れがある。例えば、借金は、ストックであるが、借入と貸出、それに伴う、借金の返済と回収という「お金」の流れがある。この流れは、資金移転であり、損益上には現れない。しかし、企業は、借金の返済が滞る、即ち、不渡りを出せば経営が破たんするのである。
一般に市場に現れた動きに目を奪われがちであり、ストックは、お金が動かないものという認識がある。 これは、重大な錯誤である。 市場の表面には、現れないが、市場の裏側にも流れがあり、実際に経済主体を経済的に破綻させる原因は、市場の裏側で流れる「お金」が途絶える事である。
例え、利益が上がっていても、借入金の返済が滞れば、ストックは、拡大する。ゼロ金利だとしても借金の返済は、待ってはくれない。ストックが無制限に拡大すれば、資金の流れが淀むのは必然である。 無制限に金融機関から融資を受けられるのなら、問題ないと思われるかもしれないし、現実に、そのように主張する経済学者も増えてきている。しかし、ストックの拡大は、フローを圧迫する。その行きつくところがゼロ金利であり、マイナス金利である。ゼロ金利やマイナス金利は、金融機関の収益を圧迫し、経営を成り立たなくする。金融機関が機能しなくなれば、借金に頼っている企業は、軒並み経営が破たんする。
以上の事を鑑みると、フローとストックの比率が重要となる事がわかる。
借金は、債務である。借金は、負債である。 債務である借金には、返済が義務付けられる。 元本の返済は約定に従って確定している。支払いが滞ると罰せられる。 借金の返済は、法的な責務である。
借金の返済は、契約に基づき計画的に執行される。故に、借金をすると一定期間、支払いが固定的に発生する。基本的に返済は、予め決められた額を決められた額だけ分割して返済する事になる。
借金には、金利がかかる。金利は費用としてみなされる。金利は費用であるために、多くの場合、金利ばかりが注目されるが、より決定的な働きをしているのは、元金の返済である。なぜならば、元金の返済は、損益上計上されない、つまり、表面に現れてこないからである。それでいて経常収支固定的な支出として継続的に圧迫し続ける。
借金の目的は、支払いを準備する事である。つまり、借金は支払いを準備する。
借金は、資金移転であり、借金の元本の移動は、損益勘定には、計上されない。 負債は名目勘定であり、損益にかかわらずに、返済は、義務付けられている。例え、収入がなくても返済は、しなければならない。
基本的に借金は、経常的収支外の支出に充てられる。一時的で多額の出費に備えるという性格がある。 日用品や消耗品に対する支出を目的としたものではない。そして、返済は、長期間かかる。 借金の用途は、一時的に多額の資金を必要とする投資に向けられる。 短期的な借金もあるが、日常生活、可処分所得に影響を与えるのは、長期的負債である。
つまり、経常的な収支とは別枠の用途で使われるが、経常的な収入の中から返済される。この事によって実質的可処分所得の幅が狭められる。
借金は、基本的に債務を構成する。故に、対極に債権、即ち、資産が想定される。債務は債権との関係で成立しているように、借金は資産との関係の上で効用を発揮する。
基本的に借金は、収入の不足分を補う目的でされるものだが、逆に、経常的収入を圧迫し、収入が減少したり、なくなった時に経済主体そのものを破綻させてしまう性格がある。返済は、法的な責務なのである。責務を守れなくなった場合、基本的権利を中断される性格がある。
この借金の性格が市場経済の性格に色濃く影響している。
しかし、借金の返済は、約定に基づいた待ったなしの支出である。破産する主たる原因は、借金の返済が出来なくなる事である。「お金」がなければ物は買えないが、それ以上求められることはない。しかし、借金の返済が滞れば、代償が求められるからである。
借金の返済は、支出と言う観点からすると固定費と同じ働きをする。 問題なのは、借金の返済は、費用としてみなされない事である。
ただ、費用としてみなさないから適正な期間損益が測れるともいえる。借金の返済を費用としてみなすと借金の有無が価格に決定的な影響を及ぼす事になるからである。
借金の返済を費用としてみなされていないから、損益上には、現れてこないし、損益に影響を与える事はない。 つまり、表立っては、借金の返済は、利益には影響を与えないし、納税にも影響しない。 しかし、借金の返済は、待ったなしである。期日までに支払いを準備する必要がある。支払が準備できなければ倒産する。ある意味で他の費用をより厳格である。
借金の返済原資は、基本は、収益の中に求められる。主として税引き後利益と減価償却費である。ここにも問題がある。税引き後利益の目的野中には、借金の返済は含まれていないのである。 つまり、借金の返済は、税にも、利益にも、利益処分にも計上されないのである。
売上、即ち、収益が減少する事で真っ先に行き詰まるのは、資金繰りである。借金の返済ができなくなる事である。次に、困るのが固定費の支払いである。つまり、借金と費用が障害になる。
借金は、損益において清算されないために、返済が滞ると市場に蓄積する。 そして、徐々に利益を圧迫して価格を押し上げるようになる。
ストックがフローに対して相対的に膨張する事となる。社会全体に占めるストックの比率がフローに対して相対的に大きくなると「お金」の流動性が損なわれる事になる。
借金の返済額が、税引き後利益と減価償却費を裏まわるようになると債務は、一方的に拡大していく事になる。
給付金と貸付金の決定的な違いは、民間の負債になるか、公的な負債になるかにある。 給付金にすればいいかと言うと給付金にすると財政を圧迫し、一般政府の負債を増やすだけなのである。
民間企業の負債を一般政府に付け替えたとしても社会全体の負債は、減るわけではない。ただ経済主体を移しただけである。結局、物価をじわじわと押し上げる事になる。
結果的に、社会全体の債務負担を増やす事になる。
バブル崩壊後、民間企業の財務内容は、一見改善しているように見える。しかし、それは縮小均衡の結果であり、拡大均衡ではない。縮小均衡だから、経済成長には結びつかないのである。
import pandas as pd
sk= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=0,index_col="y")
sk.head()
バブル形成時からバブル崩壊後のストックの推移を見てみよう。
fig = plt.figure(figsize=(8,6))
plt.subplot(3,2,1)
plt.plot(sk.b1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,2,2)
plt.plot(sk.b12)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,2,3)
plt.plot(sk.b4)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,2,4)
plt.plot(sk.d13)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,2,5)
plt.plot(sk.c1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,2,6)
plt.plot(sk.b9)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
上の左、金融機関借入金。上の右は、減価償却費。中の左は、売上高。
この式は、企業の支払い能力を示すと言われている。
下の左は、ソフトウェアを除く投資額である。下の右は、経常利益。
民間企業の経営は、投資(資本)、負債、収益、費用の均衡の上に成り立っている。支出という点では、借入金の返済も費用も同じなのである。収入という点では、売上も借入金も同じなのである。最終的には、収支の均衡が破れた時に企業経営は破綻する。
そのカギを握っているのは、現金、即ち、キャッシュフローである。
紙幣の根源は、負債である。負債には、短期的負債と、長期的負債があり、短期的負債の主たる目的は、運転資金・繋ぎ資金で、長期的資金は、投資である。また、負債は、債権と債務が対になって成立する。債権は、投資によって、資産を構成する。
重要なのは、投資の性格で、主たる投資には、設備投資、公共投資、住宅投資があり、設備投資は、法人企業。公共投資は、一般政府。住宅投資は、家計が主たる担い手である。
設備投資だけが営業余剰・混合所得を生む。 公共投資と住宅投資は、直接的には、利益を生まないという性格がある。公共投資は、雇用者報酬にだけ関わっており、付加価値の増加には結びついていない。 即ち、経済成長に直接かかわってるのは、設備投資と公共投資である。
住宅投資による負担は、市場や所得が拡大している時と市場や所得が縮小している時とでは違ってくる。その差は、賃貸住宅との関係を左右する。
住宅価格は、日本では、大体、年収の7倍、理想的には、5倍だとされた。
住宅投資は、自家用である限り損益は成り立たない。自分の住む家は、営利目的ではないからである。 故に、自分が住む目的で建てる家は、現金主義なのである。
住宅投資は、住宅用地、人口、住宅面積、価格、そして、所得、貯金、住宅ローンによって成り立っている。 所得の範囲内で、住宅ローンの返済ができる事が前提である。所得と借金の均衡が破れたら生活は成り立たなくなる。
ストックは、フローの幅に制約を受けている。この制約が忘れられると経済は制御できなくなる。
人が住むために適した土地は限られている。人口も減少へと向かっている。基本的に、設備と言った資産も人件費も固定費である。何が景気を動かしているのか。それは価格である。
市場で動くのは、単価である。人と物が一定とされるのに対して、「お金」の価値が揺れ動く。それが大きく経済を揺さぶるのである。
営利性のない公共投資をいくら増やしても、経済成長には寄与しない。バブル崩壊後、経済成長が停滞したのは、民間の設備投資が抑制されたからである。
経済を動かしているのは、市場に流れる資金のフローであり。民間企業のキャッシュフローが付加価値の源泉なのである。営利事業に否定的である限り、健全な資本主義は成立しない。
基本的に市場取引は、売り手と買い手、貸し手と借り手があって成り立っている。つまり、取引は鏡像関係、対称関係が成り立つ。この鏡像関係が、複式簿記を生み出している。
入出金は、収入と支出と言う形で表現される。即ち、市場取引における収支の手段は、売り買いと貸し借りの二つがある。この二つの手段が市場に損益と貸借の二つの流れを生むのである。
そして市場経済の根本は、この二つの流れによって作られていると考えていい。
民間企業は、生産にかかった費用を財を市場で販売する事で回収する。 利益は、その過程で生じる副産物である。 この買いと売りによって需要と供給の関係を成立する。
収支の力は、価格に対して作用する。需要と供給や所得と支出の力関係は、価格に上昇圧力と下降圧力として作用する。
価格は、数量と単価によって構成されている。故に、市場の働きは数量と単価に作用する。
「お金」の流通量と需要と供給の力関係によって価格は変動する。 「お金」の流通量は、フローとストックによって定まる。
フローは、単位期間内の収支の働きによって作られる。ストックは、単位期間を超える収支の働きによって作られる。 収支は、収入と支出からなる。
問題は、収入と支出の性格である。
重要なのは、収益と支出の釣り合いである。収益と支出の釣り合いがとれなくなると市場取引が成立しなくなり、市場は制御不能の状態に陥る。
そこで問題となるのが収入と支出の性格の違いである。 売買に基づく資金の流れは、経済の実相を表し、貸借による資金の流れは、市場取引を準備する。 収益は、不確実で変動的、即ち不安定であるのに対して借金の返済は、確実で、一定している。しかも、収入と支出の関係は、基本的に相対的なのである。
個人事業者は、日々の収入は一定していないし、景気に左右される。雇用者は、失業すれば定収は失われる。農業の収入は、天候に作用される。この様に収益は、不確実な要素が付きまとう。民間企業や一般政府の様な生産主体は、不確実性を整流し、確実性の高い所得に変換させる装置でもある。生産主体のこの働きを見落としていると生産主体の費用の働きを理解する事はできない。
市場経済は、収益と費用が均衡を保とうとする働きによって成り立っている。
経済が成長している間は、負債は、負担にならないが、経済が停滞、縮小し始めると負債は、収支を圧迫する。
仮に、借金の返済額が収益や所得を上回ったら経済主体は破綻する。 それは一般政府も例外にはならない。
借金の返済額を収益の中で確保できなければ、ストックは自己増殖を始める。売上が一定な場合、利益を確保しようとすれば、費用を削減する以外にない。経費を抑え込めば不景気になる。
収入と収支は、売買による収支と貸借による収支がある。そして、売買による収支と貸借による収支では、働きや性格が違う。この違いを明確にしておく必要がある。
また、収入と支出も働きや性格が違う。
収入と支出の大きな違いは、第一に、確実性、第二に、固定的性がある。 基本的に収入は、不確実で、変動的であるのにたいして支出は、確実に、そして、固定的に発生する。 この違いが経済を複雑にしている。
特に、借金の返済は、長期にわたって、一定の支出を強制する。しかも、費用として認識されず、損益に計上されない。借金の返済は、費用ではなく、資金移転なのである。借金の返済は、損益には直接影響しないが、返済が滞れば、破産するのである。
収入と支出の関係は相対的なのである。収入、支出、各々バラバラに見ればいいというものではなく、収入と支出の働きを関連付けて考察する必要がある。
一定で確実な支出に対応する為には、収入を安定させる必要がある。分配主体は、収入を安定させるための整流器の働きをしている。分配主体と、生産主体を一体である場合が多い。生産主体は、民間企業や一般政府等を指す。特に、民間企業は、市場を介して収支を均衡させる為の一翼を担っている。
つまり、企業や政府は、収入を整流する働きがあるのである。
負債の増加は、価格(物価)の上昇を招く事を忘れてはならない。借金の返済は、目に見えない、表に現れないところで収益を圧迫する。つまり、費用には計上されないが支出である事には変わりないのである。だからこそ、フローとストックの釣り合いがとれなくなると価格、物価にも影響が出てくる。
負債の増加は、目に見えない支出を増加させる。それが流動性を悪化させるのである。
経済を動かしてきた根本的原理が働かなくなるのである。市場経済も新たな局面を迎える事となる。
注意しなければならないのは、一般に、市場の表面に現れる売買取引の結果、即ち、損益ばかりに目を奪われて、市場の裏側で働いている。貸借の流れを見落としがちだという点である。
「お金」がなければ物は買えないが、破産する事はない。返済する「お金」が準備できなければ破産する。 実際に経済で決定的な働きをしているのは、貸借の流れである。
無論、売買取引がなければ市場の機能は発揮できない。あくまでも、中心となる働きは損益である。この点は、忘れないようにしておく必要がある。
市場経済は、損益、即ち、収益の中から費用を支払い、借金の返済資金も準備する。それが原則である。 収益によって費用と借金の返済をする事が原則である。
最近の議論の中でこの原則が忘れられているか、無視されている事がある。つまり、借金や税金によって借金の返済や費用を支払えばいい問う考え方である。この様な考えは、収益が市場経済の柱だという事を忘れているか、故意に無視している。 収益によって費用と借金を返済するという原則が失われれば、市場経済は成り立たなくなる。
ちなみに、「お金」の本質は、借用証書、債務である。
また、表象貨幣は劣化しない。
問題となるのは、一度、発行した表象貨幣を回収する事が出来るかという点である。 表象貨幣は、物的な貨幣とは性格が違う。
また、自然数eは、経済で重要な意味を持つ。それは、経済変化の基本は指数的変化だからである。
データを分析する目的には、主として三つある。 第一に、状況や現象の背景や要因の構成、構造を解明する。 第二に、因果関係を明らかにして問題を解決する。 第三に、将来、起こる事を予測する。
分析の最終的目的、即ち、結論を構成するのは、予算と解決で、結論となる予測や解決策を立てるための要因を明らかににする事の三つである。 そして、その目的を果たすための前提となるのは、現状認識であり、現状認識は、問題点を明らかにする事に意義がある。
何が問題なのか。現状を単に認識するだけでなく。現れている状況がどのような影響を何に、誰に、与えるのか。それは、良い影響か、悪い事か。悪いとしたら、何が問題となるか。それを明らかにする事が鍵なのである。
三つの目的の中でも、経済では、将来を予測する事が重要な役割を果たしている。
予測するというのは、どういう目的でするのか。予測は、基本的に仕組みを制御する事を目的とする。
予測をする際、留意しなければならないのは、予測に活用する数値には、確定値と推定値、予測値の三つの値がある事である。更に、確定値には、所与の値と任意の値がある。
変化は、特定の局面を普遍化する事はできない。つまり、どこかの局面だけを切り取ってそこだけをみて法則を導き出す事はできない。高度成長期に地価を見ると右肩上がりとみられ、バブル形成から崩壊までの間をなると山形になり、バブル崩壊後は、逆に右肩下がりにみられてしまう。
将来の経済状態を予測し、それに対する対策を立てる。それが経済を分析する為の最終的な目的の一つである。
変化も一定の決まった形があるわけではない。前提条件や環境、空間に働く力によって変化は、大きく影響を受けている。
変化に対する見方にも、変化を直線的なものとしてとらえる見方や循環的なものとしてとらえる考え方があり、それは死生観にも影響する。輪廻転生の様に魂は、生まれ変わり、循環しているという見方と、人生は一度しかないという見方がある。死生観は、人の生き方にも決定的な働きをしている。
また、いくつかの変化が重なり合っているとみるか、掛け合わさっているとみるのかによて変化の様相も変わってくる。 和に重要な意味があるのか、積や比に意味があるのか。それはデータの性格にもかかわる大事である。間隔尺度か、比例尺度か、よく吟味をする必要がある。
変化の捉え方には、差によるものと比によるものがある。差は増減を表し、比は、率、比較を表す。
時系列的変化には、周期的変化、季節変動、傾向的変化、一時的変化、不規則な変化がある。 変化の形は、確率や統計の下地となる。変化そのものは、時間の関数であり、広義の時系列変化と考える事ができ、ここでいう時系列変化は、狭義的な意味であり、短期的な変化と捉えていい。一時的変化の形は、確率分布の形、フーリエ級数等だと考えていい。
変化は、一律一様に起こるわけではなく。段階的であったり、場や空間の相変化による場合もある。階層や構造、仕組み、法則等が隠されている事も考えられる。段階や状態が変化した場合は、変化を表す方程式や恒等式が変わる。それまでのやり方や手段では通用しなくなるのである。
また、変化には、不可逆的な変化と可逆的な変化がある。時間は、不可逆的であるから基本的には、変化は、不可逆的な事である。時間が陰に作用している時は、可逆的な変化もある事に注意する必要がある。
変化を演繹的に予測するか、帰納法的に予測するかの違いもある。演繹法的に予測する為には、経済の仕組みや因果関係を明らかにする必要があるし、帰納法的に導き出すためには、表に現れた現象から変化を推測する必要がある。
自動車の走った軌跡から自動車の仕組みは解明できないように、景気の変動から、市場の仕組みを解明するのは難しい。この辺が統計分析の限界である。 重要なのは、どこでブレーキを踏んだか、クラッチを切り替えたか、アクセルを踏んだか、その時の道路のどうだったかである。 飛行機も一方的に上昇し続けるわけにはいかない。一定の高度に達したら、水平飛行に切り替える必要がある。
目先の変化に囚われていると、その背後にある、重要な要因を見逃してしまう。 万有引力の発見の意義は、物と物との間に働く力を明らかにしたことにある。 物と物との間に働く力が、物と物との関係を規定している。 物事を制御する為に、表に現れた現象の裏にある働きを明らかにする必要がある。
株の予測には「テクニカル分析」と「ファンダメンタルズ分析」がある。 テクニカル分析とは、株式の値動きや相場の先行きをデータや経験則から分析・予測する手法で、代表的なものとしてはチャート分析等がある。 ファンダメンタルズ分析とは、財務状況や業績をもとに企業の本質的価値と市場価格とのギャップを分析する手法で、PER、PBR、ROEなどが代表的な指標として使われる。
「テクニカル分析」と言うのは、飛行機の軌跡から飛行機の飛ぶコースを予測するような手法で、「ファンダメンタル分析」は、飛行機の構造、仕組みから飛行機の軌跡を読むような手法である。どちらも限界がある。 軌道から飛行機の動きを読むのには、明らかに限界がある。飛行機の仕組みから飛行機の軌道を読むのにも限界がある。 市場に働く力と力学的な法則が明らかにできなければ経済主体を制御する事は難しい。
経済政策は、市場の仕組みに基づいて実施される必要がある。
経済政策を立てるためには、市場をどの様な状態、形にするのかを明確にしておく必要がある。言い換えるとその時その時の政策は、将来、市場をどの様な状態にしようとしているのか、どの様な形にすべきなのかの構想に基づいて立てられなければならない。
例えば、ストックが蓄積さる以前の市場と、ストックが蓄積された後の市場とでは、市場に働く力に違いがある。ストックがどの程度蓄積されていて、それが、フローにどの様な影響を与えているかを見極め。その上で、どの部門、どの方向に資金を流すか。その為には、どの様な構造、状態、形に市場を導いたにいいのかを明確にしておき必要がある。
ストックの拡大は、フローに対しては、強烈な上げ圧力として働き、金利に対しては下げ圧力が働く。この相反する圧力が市場に猛烈な緊張をもたらす。
資金循環 日本銀行
f = 資産・合計/フロー,負債・合計/フロー
ff = 負債・資金過不足/フロー
fs = 資産・合計/ストック,負債・合計/ストック
fss = 負債・金融資産・負債差額/ストック
部門
Financial institutions=Fi(金融機関)
General government=Gg(一般政府)
Domestic nonfinancial sector=dns(国内非金融部門)
Nonfinancial corporations=cor(非金融法人企業)
Households=Households(家計)
Private nonprofit institutions serving households=Pnish(対家計非営利団体)
overseas=overseas(海外部門)
ff=pd.read_csv("C:/Users/kk/Documents/houjin/ff.csv",index_col="y")
ff.head(5)
国民経済計算書のストックには、資本勘定、金融勘定、その他の資産量変動勘定、及び、再評価勘定がある。
資本勘定、総資本形成や資本移転と言った実物勘定を扱う。
金融勘定は、金融資産と負債を扱う。注意しなければならないのは、金融資産と負債とは表裏一体をなしている事である。
経済指標を考える上で、何と何が表裏一体となるかが、経済の仕組みを考えていくうえで重要な鍵になる事である。 例えば、金融資産と負債、売りと買い、貸しと借り、債権と債務これらは表裏一体となっている。 純貸出(+)と純借入(−)も表裏をなしている。また、資本勘定の純貸出(+)/純借入(−)と金融勘定の純貸出(+)と純借入(−)も表裏をなしている。 総生産、総所得、総支出も一体と考える。
これらの点を前提として各部門の資金の流れを見ていく。
統計と確率を一括りに扱うから統計と確率、両方ともわからなくなるのである。統計と確率は、別物である。 統計は、既に現れた事実を記述し、あるいは、既に現れた事象を元に全体を推測したり、将来を予測することを言うのに対して、確率は、何らかの事象がこれから生起するであろう比率で表した事である。確率を計算する為に統計を活用する事はあるが、統計と確率は別の事である。
正規分布ありきで説明しようとするからわからなくなるのであり、正規分布を一つの基準として捉えればいいのである。何もかも正規分布になると訳ではない。
経済統計で幻惑されるのは、実測値と推測値が混在している事である。特に、会計上の数値は、金銭的な裏付けのない名目的な値と金銭的な裏付けのある実質的な値がある事を注意しなければならない。経済の実体を明らかにする為には、「お金」の流れが重要な意味を持つ。
経済に決定的な影響を及ぼしているのは、資金の流れである。資金の流れを負えば、経済の動きは読めてくる。部門別に資金の流れを追ってみる。
部門間の資金の過不足と他の要素との相関関係を結び付けて考えてみる。 残高と差額、過不足の関係をみてみる。 残高は、総量を表している。差額は、資産と負債の構成の変化を表している。過不足は、流れた方向を表す。 先ず全体像をみてみよう。 残高には、フローとストックがある。
fs=pd.read_csv("C:/Users/kk/Documents/houjin/fs.csv",index_col="y")
fs
fs.head(5)
fig = plt.figure(figsize=(15,12))
plt.subplot(6,4,1)
plt.plot(ff.fi_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,2)
plt.plot(ff.fi_ff)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,3)
plt.plot(fs.fi_fs)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,4)
plt.plot(fs.fi_ss)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,5)
plt.plot(ff.cor_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,6)
plt.plot(ff.cor_ff)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,7)
plt.plot(fs.cor_fs)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,8)
plt.plot(fs.cor_fss)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,9)
plt.plot(ff.Households_f)
plt.subplot(6,4,10)
plt.plot(ff.Households_ff)
plt.subplot(6,4,11)
plt.plot(fs.Households_fs)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,12)
plt.plot(fs.Households_fss)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,13)
plt.plot(ff.Gg_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,14)
plt.plot(ff.Gg_ff)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,15)
plt.plot(fs.Gg_fs)
plt.subplot(6,4,16)
plt.plot(fs.Gg_fss)
plt.subplot(6,4,17)
plt.plot(ff.Pnish_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,18)
plt.plot(ff.Pnish_ff)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,19)
plt.plot(fs.Pnish_fs)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,20)
plt.plot(fs.Pnish_fss)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,21)
plt.plot(ff.overseas_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,22)
plt.plot(ff.overseas_ff)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,23)
plt.plot(fs.overseas_fs)
plt.subplot(6,4,24)
plt.plot(fs.overseas_fss)
一行目から金融、非金融法人企業、家計、一般政府、対家計非営利団体、海外部門。 一列目から、f = 資産・合計/フロー,負債・合計/フロー、ff = 負債・資金過不足/フロー、fs = 資産・合計/ストック,負債・合計/ストック、fss = 負債・金融資産・負債差額/ストックと言う順で並んでいる。 日本銀行
比較する事で、規模、構成、増減、傾向、各々何が変化して、何が変わっていないかを見てみる。特に分岐点や傾向の変化に注目する。 何がきっかけになって変化が触発されたかが鍵となるからである。
例えば、非金融法人企業は、フローの規模は、バブルが形成時では、急速に上昇し、それがバブルが崩壊すると急速に萎んでいる。フローの資産、負債差額を見るとバブル形成時は、負(マイナス)であったのが、バブル崩壊後急速に縮小し、2000年頃から正(プラス)に転換している。ストックの規模は、バブル崩壊ので上昇していたのが、バブル崩壊後は、横ばい状態である。バブル形成までは、増加していた負債が、バブル崩壊後は、横ばい状態になっている。この事から、バブル形成からバブル崩壊後の資金の流れが読み取れる。
非金融法人企業のフローと、GDPの相関関係は高いのがわかる。民間の設備投資が付加価値に大きく寄与している事の証である。
フローの資産合計は、単位期間内の資産の増減を表している。ストックの残高は、累積された資産の残高である。資産合計と言うのは、負債と資産を合計したものであり、差額とは、資産から負債を引いた差を累計した額である。
フローの過不足は、資金調達額と運用額の差額である。フローの過不足は、資金の流れる方向を示している。
金融資産と負債差額は、資産と負債の関係を表している。資産、負債の差額は、正の値は、資産の増加を意味し、負の値は、負債の増加を意味している。
資産と負債の差額で非金融法人企業と一般政府、海外部門が負の値をかけてが正の値をとっている。これは、家計以外の部門が負債を増やしていて家計がその分、資産を積み上げていることを意味する。
金融機関で目立つのは、金融機関も2009年以降、資産を積み上げている点である。
過不足と資産・負債の差額はゼロサムである。
何処からどの様にして調達し、何に対してどの様に運用するか、それが、部門ごとの資金の過不足を決める。
資金の調達は、目的、即ち、運用先によって違ってくる。運用の目的には、投資と消費がある。投資には、設備投資、在庫投資、公共投資、住宅投資が主たるものである。
資産合計と負債合計は、流通量、残高を意味する。
フロー資産残高とフローの過不足、ストックの残高と金融資産・負債差額の動きが一体でないのは、総量とシェアが一体的な動きをしていないことを意味している。
金融資産と負債とは、表裏一体で同額である。
先ず外枠である。外枠を構成するのは、金融部門と海外部門、そして、国内非金融部門との関係である。 金融部門と国内非金融部門とは、相互に補完し合う関係にある。
金融機関のフローの増加は、金融資産の増加を意味し、それは、国内非金融部門の負債の増加を意味する。
国内非金融部門の足らない部分を補う形で海外部門が働いている。
金融部門も海外部門を支払いを準備する事が役割であり、基本的に均衡を保つ事が求められる。
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(ff.dns_f)
plt.plot(ff.fi_f)
plt.plot(ff.overseas_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(ff.dns_ff)
plt.plot(ff.fi_ff)
plt.plot(ff.overseas_ff)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(fs.dns_fs)
plt.plot(fs.fi_fs)
plt.plot(fs.overseas_fs)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(fs.dns_fss)
plt.plot(fs.fi_ss)
plt.plot(fs.overseas_fss)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
左上 フロー 資産(負債)合計国内非金融部門=青、金融機関=橙、海外部門=緑 右上 フロー 資産、負債差額 国内非金融部門=青、金融機関=橙、海外部門=緑 左下 ストック 資産(負債)合計国内非金融部門=青、金融機関=橙、海外部門=緑 右下 ストック 資産、負債差額 国内非金融部門=青、金融機関=橙、海外部門=緑 国民経済計算書 内閣府
対家計非営利団体は、規模からして体制に大きな影響を与えていない。国内の経済の状態は、主として非金融法人企業と家計が担っていて、その基礎的な部分を担っているのが一般政府である。
経済の動向、変化は、経済の規模と部門間の力関係によって定まる。
基本的に経済規模は、市場の規模によって定まる。市場規模は、付加価値の大きさによる。付加価値は、非金融法人企業と家計の働きによって形成される。なぜならば非営利事業は、付加価値を生み出さないからである。
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(ff.cor_f)
plt.plot(ff.Households_f)
plt.plot(ff.Gg_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(ff.cor_ff)
plt.plot(ff.Households_ff)
plt.plot(ff.Gg_ff)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(fs.cor_fs)
plt.plot(fs.Households_fs)
plt.plot(fs.Gg_fs)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(fs.cor_fss)
plt.plot(fs.Households_fss)
plt.plot(fs.Gg_fss)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
左上 フロー(残高) 資産(負債)合計非金融法人企業=青、家計=橙、一般政府=緑 右上 フロー(過不足) 資産、負債差額 非金融法人企業=青、家計=橙、一般政府=緑 左下 ストック(残高) 資産(負債)非金融法人企業=青、家計=橙、一般政府=緑 右下 ストック(資産-負債) 資産、負債差額 非金融法人企業=青、家計=橙、一般政府=緑
バブルが崩壊すると家計と非金融法人企業のストックの残高に注目するとワニが口をわらいていねように見える。そのワニの口を補うように一般政府のフローが伸びている。ストックの資産-負債を見るとその構図がよくわかる。それがバブル崩壊の一つの構図である。
フローで目立つのは、バブル形成期とバブル崩壊後の資金の流れで、バブル形成期、プラザ合意後に非金融企業法人の伸びが大きく、その反動でバブル崩壊後、急速に減少している。家計は、非金融法人企業に合わせる様な動きを見せているが、上昇するにせよ、下降するにせよその変化は非金融企業法人に比べて緩やかな動きである。
過不足を見ると非金融法人企業と一般政府は対称的な動きを見せており、家計は、全体の傾向を反映しているように見える。この点が重要なのである。バブル崩壊後、経済活動の振幅が小さくなっている。それは、家計の動きによく出ている。同時に非金融法人企業と一般政府の流れが入れ替わっている。
この点がバブル崩壊後の景気低迷を表している。問題は、景気低迷の結果なのか、原因なのかである。
ストックを見ると1990年バブル崩壊が一つの分岐点である事が如実に表れている。残高は、家計、経常的に上昇しているのに対して、非金融法人は、資金が停滞し始めるる。それに呼応するように財政支出は上昇する。
家計の資金の基礎たる資金の調達手段は、所得(雇用者所得)であり、一般政府は、税(歳入)、そして、民間企業は、収益である。 生産主体(金融法人、非金融法人、一般政府)から家計への資金の流れは、主として賃金である。その他に、一般政府からの給付金がある。逆の流れは、消費主体から生産主体への「お金」の流れは、主として売上である。
その補助的な手段として借入金がある。貸借の本来の役割は、補助的手段であり、資金の過不足を補い、支払いを準備する事にある。故に、決済としてではなく移転として扱われる。しかし、実際は、経済主体の存亡を握っている。経済主体は、借金を返せなければ破産するのである。
運用は、消費と投資である。家計の運用先は、民間最終消費支出と住宅投資である。一般投資は、歳出、公共投資である。
市場は階層構造になっている。市場構成する階層がどのようにできているのかを明らかにしていく。 また、市場の生成発展は、段階的になされる。
先ず資金調達の局面がある。市場経済では、資金がなければ何も始まらない。まず何らかの形で資金を調達する必要がある。それが第一段階である。
階層には、フローとストックがある。市場の表層を流れるのがフローである。市場の底辺を構成するのがストックである。
ストックの部分は、「お金」の動きがないかというとそうではない。むしろ、ストックは、固定的な「お金」の動きがあり、それが経済変動を裏から促していると考えるべきなのである。静的な動きと言っていいかもしれない。
見極めなければならないのは、経済を構成する要素が、何に影響し、どの様に作用するかである。 特に、フローとストックにどう働くかである。 基本的に、損益は、フローを形成し、貸借は、ストックとなる。 フローとストックは、「お金」の流れと過不足に深く関わっている。
重要なのは、時代の変化とともに個々の要素の働きに違いが生じているという事である。 何が、働きを変化させているのか。 また、政策のようなイベントがどの様に作用しているのかを見極めるのが、一つの目的である。
その為に変化の様相を見ていく。
経済を表している。大枠を表にしてみる。
上左 a5 総人口=Total population 。上中 a6 消費者物価指数=CPI Consumer price index 。上右 b4 売上=sale。 下左 y1 民間最終消費支出=Private final consumption expenditure 。下中 y6 雇用者報酬=Employer compensation 。下右 GDP
fig = plt.figure(figsize=(12,4))
plt.subplot(2,3,1)
plt.plot(sk.a5)
plt.subplot(2,3,2)
plt.plot(sk.a6)
plt.subplot(2,3,3)
plt.plot(sk.b4)
plt.subplot(2,3,4)
plt.plot(sk.y1)
plt.subplot(2,3,5)
plt.plot(sk.y6)
plt.subplot(2,3,6)
plt.plot(sk.GDP)
数学は、物理的な数学と経済的な数学の二種類がある。歴史的に見ても、本来、目的を別にした体系であるはずなのに、いつの間にか混同されてしまい、特に、経済用の数学は、廃れている。 数の体系にしても、経済は、自然数、離散数、余り算を主とした体系であり、今日では、二進数も重要となってきている。
統計は、どちらかといえば、政治や経済を元として発展してきた数学の一種である。この点をよく理解しないと確率や統計の意味や目的は失われてしまう。
経済において数学の効用は、予測、予算などで発揮する。 現在の数学は、予測の手段として、主に、機能的な方法が用いられる。 しかし、正確な予測をする為には、演繹法的な手段を開発する必要がある。
帰納法的な手段としては、回帰分析や近似式(指数近似、線形近似、対数近似、多項式近似、累乗近似等)が重要な役割を果たしてきた。 また移動平均なども用いられてきた。近似曲線としては、成長曲線、ロジステック曲線、ゴンペルツ曲線、遅れS字曲線等が使われてきた。 数学は、近似と誤差だという考えもある。しかし、近似は近似である。この点を見極めないと数学の限界も見えてこない。
線型関数というのは、要するに、比例関係を表した関数である。変化の根底には、線形関係、即ち、比例関係が隠されている。
経済的な変化を回帰分析やロジスティクス曲線などを当てはめて近似するのは難しい。それは、経済的変化が表面に現れた現象だけを負っても解明できないからである。経済の動きを成り立たせているのは、単一な要素ではなく、複合的、構造的、空間的な働きだからであり、変化自体も階層的だったり、段階的である場合が多いからである。
問題の本質や所在を正しく見極めて、経済の動きの背後にある仕組みや働きを解明する事が先決なのである。目に見える現象だけでなく、背後の空間の状態や場の働きを構造を見極める必要がある。
空間や場の働きを明らかにする為には、何を前提としているかが鍵を握っている。
それが現状認識であり、問題点の解明である。 現状を認識し、問題点を解明すれば、適切な仮説が立てられる様になる。問題認識の重要性がそこにある。
電磁気のような場に働く力なのか、場に働く力が変異したのか、風力や、水力、電力のような流れの力の働きなのか。例えば、無重力な場では、重力が働かなくなる。重力が働いている場と重力が働いていない場、無重力な場とでは、物体の動きに違いがある。
バブルが崩壊するに伴ってそれまでの相関関係を打ち消す力が働いているように思われる。
場に働く力とは何か。 市場経済における場とは、市場である。市場に対してどの様な力が働いているかが鍵なのである。 市場に働く力には、需要と供給によって働く力がある。次に、資金の過不足、資金の流れによる力がある。そして、ストックによる力がある。ストックによる力はは、フローに働きかける。
市場にかかる働きの根源は、生産と消費の関係から生じる。 生産と消費の関係から、需要と供給、収入と支出、財と対価、労働と報酬の関係が生じる。
これらの関係が市場に働く力の源となる。
import pandas as pd
sk12= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=12,index_col="y")
sk12.head()
fig=plt.subplots (figsize=(8,8))
sns.heatmap(sk12.corr(),square=True,cmap="Blues",annot=True)
GDPにたいして民間最終支出、雇用者報酬、総人口、消費者物価、売上高、資産合計(国民経済計算書)、非金融法事企業のストック残高は、高い相関関係を示している。
fig = plt.figure(figsize=(12,4))
plt.subplot(2,3,1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.plot(sk.a3)
plt.subplot(2,3,2)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.plot(sk.a4)
plt.subplot(2,3,3)
plt.plot(sk.c1)
plt.subplot(2,3,4)
plt.plot(sk.c2)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,3,5)
plt.plot(sk.c3)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,3,6)
plt.plot(sk.z1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')